はらり、舞う

はらはら、はらり。
桜が舞う。




季節はもう春。
高校に向かう道の途中、ふと顔をあげるとはらりと桜の花びらがひとひら、まぶたの上に落ちてきた。
頭上には一面の薄色と、隙間から見える空色。
ああ、こんな景色、どこかで見たことがあるような気がすると、ふと記憶をたどる。
空を見上げた記憶は随分遠いものになっていたけれど、群馬の中学の通学路も確かこんな感じだったと、思い出した。
慣れ親しんだ土地から、自分を知る者のない土地へ。
今日から新しい学校、埼玉で、西浦高校で、新しいオレの生活が始まる。
新しい生活。
前の生活ではなく、何もかもを変えて。

(あいつがいなくなったのも、全部お前のせいだ)

前の生活というフレーズを意識したのか、昔の記憶がひとかけら零れだした。
思わずぴたと足が止まる。
記憶に、思い出したくない記憶に囚われた。
いやだと頭が拒絶しても、それは洪水のように音を立ててオレを覆っていく。

(お前のいとこもあいつも、お前に関わったせいでいなくなったんだ)
(お前が消えればよかったのに、なんでお前はいるんだよ)
(やめとけって。泣くとうぜぇしめんどくさい。 関わらねぇ方がいいぜ)
(そうだな、こいつに関わって消えたくねぇしな)
(おらっ!サッサとどけよ!!邪魔だ!!)

あの学校での最後の記憶。
全て本当のことだけれど、溢れてくる記憶におぼれてしまいそうだ。
オレは弱くて、愚図で、何をやってもダメな奴だから。
過去のことなのに、今ここで言われているみたいに鮮明に思い出せる。

(気持ち、悪い)

体が熱くて、気持ちが悪い。
さっきからずっと速い鼓動のせいだ。
道の真ん中で思わず膝を抱えてうずくまる。
最近夢見もよくないから、そのせいもある、たぶん。
学校に、行きたくないなぁ。
行っても三星の時と同じになる、どうせ。
友達なんか、なってくれる人なんていないよきっと。
また、ここでもひとり。
ドクンとひときわ大きな音を立てて心臓が反応した。
それからドクドクと忙しない音を立てて動いている。
運動している時より速いんじゃないか。
こんなに速かったら、心臓も壊れちゃうんじゃないか。
ああ、それとも心臓ももう壊れた方がいいって思ってるのかも。
オレなんかが生きてるために動いてるなんて、疲れるだけだし。
最後の一仕事、みたく一生懸命動いているのかもしれない。
それだったらもう、学校になんて行かずにいっそこのまま―――

「大丈夫ですか?」

声をかけられてはっと頭が覚醒する。
ゆっくり声のした方を振り返ると、男の子が2人、心配そうにオレを見ていた。
2人ともオレと同じ年ぐらいだろうか。
真っ黒い髪と少し色素の抜けた優しい焦げ茶色の髪。
髪の色と同じ色の瞳が2組、心配そうに細められていた。

「……あ」

大丈夫です、と言おうとしたのに、喉にはりついて声が続いてくれない。
思った以上に自分は大丈夫じゃなかったようだ。
さっきから鼓動も速さを戻す気配すら感じない。
ずっとドクドクとなっているままだ。
汗が一筋背中を伝った。

「あの、えーと、立てますか?もうすぐ学校だから、そこまで頑張れます?」

2人とも励ますような笑みを浮かべながらオレの様子をうかがっている。
さっき話しかけてくれた人じゃない人がオレの背中に手を置きながら話しかけてくれた。
背中に乗った手がほんのり暖かくて、オレは思わず涙が出そうになった。
家族以外でこんな優しい感情を向けられたのなんていつぶりだろうか。
なんて温かい手なんだろう。
なんて優しい人たちなんだろう。
そのまま少しの間その手の感触に浸っていたオレは、だけれどはっと思い直す。
この人たちはオレがどんな奴か知らないから優しくしてくれるんだ。
オレがどんなひどい奴か知ったら、すぐ離れていっちゃう。
また、ひとりきり。

「……っ、っふ……あ」

ああバカ、こらえたと思ったのに。
高校生にもなって道端で泣きだすなんて、みっともなさすぎる。
きっとこの人たちもひいちゃったよね。
案の定、2人がうっと言葉を飲み込んだ音がした。
ごめんなさい、泣いちゃってごめんなさい。
何とか止めようとするけれど、こんな時に限って全然止まる気配がない。

「……相当具合が悪いのかな?……えーと君何くん?」
「え、オレ?オレは西広って言うんだけど」
「新入生?」
「うん、新入生。そっちは?」
「よかった、オレも。あ、オレ栄口だから。よろしく」
「よろしく。……どうしよっか」
「みたとここの人も新入生みたいだし、なんとか学校までは連れて行ってやろうと思ってるんだけど」
「わかった。乗り掛かった船だし、オレも手伝うよ」
「サンキュ、西広君」
「西広でいいって、オレも栄口って呼ばせてもらうよ」
「おお、全然オッケー。……んで君の名前は?」


一連の話をどこか遠いところでの会話のように聞いていたオレは、突然振られた話についていけなかった。

「……っく、あ、」
「んーこりゃ泣きやむまで動けそうにないね」
「そうみたいだね。今日早めに出てきてよかったなぁー」

迷惑掛けてる。
聞かれたのに答えられないどんくさい奴だって、もうさんざん言われてきたのに。
新しい学校でもおんなじことを繰り返すつもりなのか、オレは。
もう、人に迷惑かけないってあれほど誓ったのに。

「……あ、のっ」
「ん?泣きやんだ?」
「も、もうっ、だいじょ、ぶ、です、か、ら」
「……大丈夫じゃないでしょ、ほら顔、真っ青じゃん」
「す、すみま、せっ、で、でも、だいじょ」
「いいからいいから、ほら歩けそう?」

そう言って、オレの腕を引っ張って、腰に手を回す。
オレの右腕は、えっとたぶん西広君って人の首の後ろに回って、オレは2人に体を支えてもらっていた。

「あっ、で、でも、オレ、こんな、こと、して、もらえ、る、立場、じゃ」

つっかえながらもそう言うと、2人は一瞬キョトンとした顔をして、顔を見合わせ。

ぷっ……っ。

「あっはははは」
「くっ……ふっ……」

堪えきれないかのように、吹き出した。
え?
オ、オレ、なんか言った?
笑われるようなこと言った?
でも、きっと普通の人はしないようなおかしなこと、しちゃったんだ。
だから2人とも笑ってるんだ。
ど、どうしよう……。あ、謝った方がいいよね。

「ご、ごめんなさっ」

何とか絞り出すように謝ると、ますますその笑いは深くなった。
ひー苦しーと、空いているほうの手で目じりをぬぐう。

「なんで謝るのさ、オレらがすきでしてんのに」

一通り笑ったあと、困ったような顔をしてそう問われた。

「そりゃ道端で具合悪そうにうずくまってる人見たら普通声かけるでしょー?」
「そうそう、ていうか、本当に大丈夫?顔色良くないよ」

え、マジで?と2人が一斉にこっちに顔を向けた。
わわ、し、視線が痛い。
思わず反射的にうつむいてしまったオレは、「だ、だいじょうぶ、です」としか言えなかった。

「大丈夫ならいいけど……具合悪くなったら言ってね。休憩しながら行こう」

オレの背中をあやすようにポンポンと優しく叩いてくれた。
そのさりげない仕草になんだか安心してしまって、ちょっと励まされて。
また、鼻の奥がつんと痺れたけれど、そこはなんとか耐える。

「ご、ごめんなさい」

とまた謝ってしまったオレ。
うつむいていて表情は見えなかったけれど、ふっと息を抜く気配がしたから、きっと呆れられたんだろう。
こんな謝ってばっかりで、何の事情も話さない、名前すら名乗らない嫌な奴。
こんな嫌な奴に親切にしてくれるなんて、この2人はすごくいい人だ。
だからなおさら。
オレはこの2人に何にも話せなかった。
新入生って言ってたから、もしかしたら友達になってくれるかもしれない。
友達……なんてあったかい響きなんだろう。
友達、ほしいな。
でも、オレがこんな性格で、ホントはもっとやな奴って知ったらきっと離れていっちゃう、2人とも。
だから、これ以上近づかない方がいいんだ、きっと。
2人のためにも、オレのためにも。
手に入れて失うくらいなら、最初から何もない方がいいんだから。
2人がゆっくり歩きだしたのにつられて、オレも足を前へ運ぶ。
その間にも彼らは、どこ中出身?とか、何部に入る?とか話が弾んでいたみたいだったけれど。
オレはそんな2人の話をどこか離れた場所にいるみたいに、遠いところで聞いていた。
オレが話に入ったら、話がつまんなくなっちゃう。
せっかく楽しそうに話してるのにそんなのダメだ。
オレはこうやって楽しそうに話しているのを近くて聞いていられるだけで十分なんだから。

「でさ、そろそろ名前教えてくれないかな?」

その声に自然に肩がびくっと震えた。
視線は感じないから、2人ともこっちに目は向けていないみたいだけれど。

「そうそう、そうだよね。名前ないと呼びにくいし。あ、オレは西広。西広辰太郎」

うんうんとうなづく気配がして、左隣の西広君がそう言った。
これはもしかしなくても、オレに向かってしゃべってるんだよね。
頭の中でそう整理する。

「おーそうだ自己紹介!まだちゃんとしてなかったもんな。オレは栄口勇人、よろしくね」

そう紹介されて、恐る恐る交互に両隣を見ると、2人とも人好きのする笑みをこちらに向けていた。

(どうしよう、関わらない方がいいなんて言えない)

純粋に優しい微笑みなのに、その笑顔には逆らえないような気がしてくる。
それに。
名前くらいならいいかな、と思ったのも事実だ。
友達になれたら嬉しいけれど、なれないならオレなんかに関わらない方がいい。
けど、名前ぐらいならきっと大丈夫。
同じクラスって決まったわけじゃないし。
同じ学年の人の名前を知っているくらいきっと普通だから。
友達になるわけじゃないんだから。

「っよ、ろしく……み、みはし、れ、れん、です……」
「おー三橋か。高校第1号2号の友達だよ、これからよろしく!」
「おんなじクラスになるかもしれないしね、よろしく」

よろしくって、これからよろしくって……言われた。
と、友達って言われた。
その意味を理解するのに数瞬かかった。
ともだち、ともだち、友達……?
友達って1号2号ってことは、きっと西広君だけじゃないよね?
オ、オレもと、友達に入って、る……。
理解した瞬間、頭にカッと血が昇るのがわかった。
鼓動はさっきから速かったけれど、さっきの気持ち悪さはもう消えていた。
だって友達って!オレのこと友達って!

「ホ、ホントにっ!?」

思わず口から零れた声に左右の二人が目を見張る。

「な、何が?」

西広君の声に驚きが混じる。

「さっき……と、友達って……」

言ってくれたこと、と語尾が自然にしりすぼみになる。
急に不安に苛まれた。
もしかしたら聞き間違いだったのかもしれない。
そうだったら、オレ、なんて図々しいんだ。
自分に都合のいい空耳を聞くなんて、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
じわりと目元が熱を帯びて、視界がぼやける。

「ああ、オレの友達1号2号は西広と三橋だよ」
「オレも、栄口と三橋が友達1号だよ」

ハッと顔をあげると、2人ともにっこりとほほ笑んでくれていた。
なんでオレの欲しい言葉がわかるんだろう。
今日初めて会った人たちなのに、どうしてオレの欲しいものがわかるの?
どうしてオレの欲しかったものをくれるの?
オレの欲しかったもの、友達と笑顔を。
なんて優しいんだ。
ここでなら、もう前のようにはならないかもしれない。
オレはただの三橋廉で、ただの西浦高校の生徒だ。
ここでならオレは、欲しいものを手に入れられるかもしれない。
ここでなら。

「オ、オレも栄口君、と、西広君、が、最初の、友達、だよ」

自然に口元が笑みの形をとっていく。
初めての友達。
ずっとずっと欲しかったもの。
うれしいうれしい、ホントに。

「うわっ」

そんな気配もなかったのに、突然ぶわっと春特有の突風がオレたちを通り過ぎて、桜の花びらが一斉にくるくると舞ってオレたちに落ちてきた。
その様子は、まるでオレに向かってよかったねと言ってくれているみたいだった。
オレたちはしばらくそこに立って、春の祝福を全身に受けていた。




というわけで遙かパロ第一話 なのにもかかわらずこの尻切れトンボ具合 時空超える気配なくてごめんなさい
2008/11/25 composed by Hal Harumiya