目が覚めたらそこは、断崖絶壁の崖の上でした……って言ったら、どうする?
真っ赤な月が禍々しい光を放つ満月の夜だった。
尤もほんの数刻前までは、満月は清らかなほど白い光を湛え、京の町を明るく照らしていたのだが。
今はまるで血を啜ったようにその色を変えている。
京の町。
昔はもっと穏やかで美しく、人々の笑顔に満ち溢れていた都。
それが今はどうだ、あんなに美しかった京は穢れに満ち、怨霊が蔓延り、人々はそれに怯えて暮らしている。
そんな京を見おろせる高台に、人影が10人ばかり集まっていた。
尤も、そのうちの3人には意識がなく、顔を地に伏せている。
その3人をかばうようにして小柄な少女と男が2人、反対側をきつく睨みつけ立っている。
少女は年の頃15、6ほど。
柔らかな栗色の髪を肩へ流し、丸く大きな双眸がとても印象的だ。
仕立ての良い唐衣裳に身を包み、静かに前を見据えて立っている様はとても左大臣家秘蔵の令嬢には見えない。
顔を少し上げると、頭の大きな髪飾りがシャラッと優しい音を立てて揺れた。
その反対側には4人、真ん中の1人が緩く笑みを浮かべながら、少女たち3人を見ている。
こちらも年の頃は15、6ほど。しかしその表情はなんとも不可思議な仮面をつけているためによく見えない。
ただ着ている狩衣は遠目から見ても上等なもの。
肩には黒い毛皮のようなものを乗せている。
しかし、一番はその佇まいだ。
見るものを魅了し、従わせてしまう何かがこの男から感じられた。
残りの3人は膝を折り、頭を垂れて、彼の指示を待つがごとく控えていた。
お互い何をするでもなく沈黙の時が流れた。
どのぐらいそうしていただろうか。
先に口を開いたのは姫君の方だった。
「龍の宝玉を盗んだばかりでは飽き足らず、龍神の神子さえ我が物にしようとは」
歳相応の少し高い声音が、辺りに響く。
許しがたい、と眉根をきつく寄せ、全身で嫌悪感を顕わにする。
彼女は憤っていたのだ。
目の前の鬼たちにも、宝玉を盗まれるという失態を犯した自分自身にも。
あの後、宝玉をもう一度見た後、なぜあの部屋に留まらなかったのか、今でもそれが悔やまれてならない。
そうしていたら、神子様をこんな寒々しいところへ召喚することも、鬼に呼び出されるということもなかったのに。
自分が星の一族の末裔として、神子様を温かくこの時代へ迎えたかったのに。
それなのに、宝玉は鬼に盗まれ、いらした神子様は気を失って地面に倒れたままぴくりとも動かない。
神子がそばに倒れているのが悔しくて思わず唇を噛みしめそうになったところで、隣の男に諭される。
「千代姫、そんなに唇噛んだら切れちゃうよ。落ち着いて、ね」
「わかっております。私はいたって冷静です!」
だから、そうやって怒っちゃうのが冷静じゃないんだって、とため息をついた男は御上の信頼も篤い左近衛府少将水谷文貴だ。
彼がなぜここにいるのかといえば、千代姫が呼びに行かせたからなのだが。
本来なら、宝玉が光り龍神の神子が来ることを御上に伝えることがその任務だった。
しかし、あっという間に宝玉を鬼に奪われてしまい、御上から奪還の命を改めて受けたため、なし崩しにここにいる。
水谷本人は「オレは戦闘に向かないんだけどねー」とブチブチ零しているが、帝からの勅命とあっては行かないわけにはいかない。
腕が立たないなんていうのも、ただ単に面倒くさいからの言い訳であり、水谷は武官であるから腕ももちろんそれなりに立つ。
ただ普段ヘラリとしているから皆忘れているだけで。
「千代姫様、どうか落ち着いてください。オレがお守りいたしますので」
冷静な声で太刀を構えなおしたのは、左大臣家に仕える武士団の一人、花井梓だった。
本当ならば水谷だけでここに来るはずだったのだが千代姫がどうしても行くと言って頑として譲らず、花井付きであればよいという周囲の譲歩の結果、お伴することとなった。
左大臣はそりゃあもう心配なさって、今にも卒倒しそうだった。
千代姫が支度のため左大臣の部屋を離れたとき、花井と水谷は左大臣から、姫を守るようにときつく言い含められたのだ。
というわけで、千代姫を任された花井と水谷の責任は重い。
傷一つつけようもんなら、左大臣に顔向けができなくなってしまうくらいだ。
「梓、私のことはよいのです。それより神子様をお守りして。鬼などに神子様を渡してはなりません」
「ぶっ……あ、あずさ……くっくっく」
「……ですから、梓と呼ぶなとあれほど……水谷殿、笑いすぎです」
「水谷殿!笑ってる場合などではありません!神子様をお守りせねばならないのです!」
「ぶっ……あーはいはい、ごめんごめん。…っとそれより、どうやら目、覚めたみたいだよ」
水谷が目線で示すと、千代姫と花井の2人は即座にそちらに視線を落とした。
「……う?」
「……ってぇ」
「……ん」
地面に倒れていた3人のうめき声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「神子様っ」
即座に千代姫が三橋に駆け寄る。
「神子様っご無事でございますか?怪我はございませんか?よかったっ……ご無事で……」
心から安堵したようなその表情に花井と水谷の2人もほっと息をつく。
当の三橋は状況がいまいち理解できていないらしく、ぼんやりと千代姫を見つめていた。
「……え?……ここ、どこ?」
次に起きた栄口が腕を押さえながら体を起こした。
どうやら、空中へ放り出された時に腕を強か打ったらしく、腕が思うように動かないらしい。
「……って、え?……だ、誰?」
西広も体を起こして、今この状況に目を白黒させている。
その様子を見た千代姫は、ほっと息を吐きつつ、鬼の方にくるりと向きなおった。
神子が目を覚ました安堵感からか、その表情はさっきよりも自信に満ちていた。
梓、水谷殿、と静かに声をかけると、呼ばれた2人は目を覚ましたばかりの三橋たちに下がっているように告げ、鬼の方に向き直る。
三橋たちは状況がわかっていないながらも、不穏な空気を感じ取り、言われるがままに2人の後ろに隠れた。
「鬼、さあもう引きなさい。神子様には指一本触れさせない」
千代姫の決然とした口調に合わせて、花井と水谷は己の武器を構えなおす。
「威勢のいいことだな、星の姫よ」
今まで黙っていた男がすっと一歩前に踏み出した。
顔は仮面をかぶっていてよく見えないが、かすかに見える口元には常に笑みが張り付けられている。
その声には、嘲笑うかのような色。
下賤の者と対峙しているかのように、くっと微かに揶揄の音を落とした。
「あれ?」
とかすかに声を上げたのは西広だった。
隣を見ると、栄口もこっちを見ている。
表情から察するに、どうやら2人とも同じことを考えているらしかった。
周りには聞こえないようにぼそぼそと会話が始まる。
(あいつの声、聞いたことあるような気がしないか?)
(オレも今そう思ってた。もしかしてあいつさっきの……)
『さっきの井戸の化け物』
きれいに2人の声がハモる。
(やっぱり)
2人とも、改めて前にいる仮面の男に目を向けた。
自分たちが確かなら、三橋を攫おうとしてここにオレたちを連れてきたのはあいつだ。
行き場のない恐怖感と怒りがぞくっと湧き上がるが、なんとか耐える。
自分たちがここで出しゃばっても、どうしようもないからだ。
明らかに自分たちの許容範囲を超えている存在なのだ、目の前の仮面の男も、今のこの状況も。
ちらと同時に横にいる三橋に視線をやると、恐怖の色を瞳に湛えて目の前の仮面の男を見ていた。
こいつが狙いなら、なんとか守らなければ。
2人とも何の違和感も感じることなくすんなりとそう考えて、目の前の男に視線を戻した。
「だがな、そうやって神子をかばったとしても無駄だ。宝玉は我が手にある。……神子、我が下に来るがいい」
薄く笑みを浮かべながら男が高らかにそう告げると、すい、と右手の宝玉を前に差し出した。
「う、あっ、な、なに?」
視線が声のした方、三橋に集まる。
すると、何の前触れもなく三橋の体は宙に浮き始めていた。
ゆっくりとふわりと体が空に昇って行く。
「なっ」
「三橋!!」
「神子様」
それぞれが驚きの声を上げる。
鬼の一族が妖しの術を使うことは知っていたが、こんな術など聞いたことがない。
人を空に浮かせる術など。
「あっ、や、だ、た、たすけ、」
「三橋ぃ!」
三橋が栄口と西広に向かって手を伸ばす。
2人も精一杯手を伸ばしているのに、あとちょっとのところで届かない。
いやだ、行きたくない。
あの仮面の人は、怖い。
あの時も、最初に会った時も何か怖かった。
どうしてなのか全然わからないけれど、あの人のところには行きたくない。
いやだ、助けて、栄口君、西広君。
「た、たすけ、いや、だ、行きたく、ない、よ」
(助けて!)
手を伸ばしている三橋から一滴の涙が零れた。
「っな」
「宝玉が……!」
それは本当に突然だった。
仮面の男の持つ龍の宝玉が突然まばゆいばかりの輝きを帯びたのである。
と、同時に三橋の体も眩しい輝きに包まれだす。
その体からは肌で感じられるほどの神気が溢れ出ていた。
「なんだ……いったいこれは!」
宝玉から溢れ出す神気にあてられたのか、仮面の男が焦ったように宝玉から離れた。
なおも輝きを増す宝玉を見つめながら、茫然と立ちすくんでいる。
「……あぁ」
千代姫の口から感嘆のため息が漏れた。
それは千代姫自身が待ち望んでいた光景でもあり、星の一族の血が覚えている光景でもあった。
(この瞬間を目にできるなんて、私は星の一族として幸せ者です)
誰に言うことはなく、心の中で千代姫はそう思った。
この瞬間、すなわち八葉誕生の瞬間を。
宝玉は光をどんどん増し、突如8色の光の粒に分かれた。
くるりと粒が一周した後、ばっと散り散りになって飛んで行った。
それぞれ、選ばれし者の許へ。
「!」
「うわっ」
「なっ」
「え?」
そのうちの4色の光はひゅんと頭上を旋回した後、この場にいた栄口と西広、花井、水谷の中へと消えていく。
光が入った4人の体はそれぞれの光の色に輝いていた。
呆然として言葉が出ない皆を尻目に、藤姫が口を開く。
「今八葉が選ばれた。京を救う、龍神の神子を護るために」
「……そうか、あくまで我々と戦うつもりということか。分かった、それがお前たち人間の判断というわけだな」
一瞬激しく動揺した仮面の男はしかし、先刻と同じように口元に緩く笑みを刷くと、すっとその場から消えてしまった。
残された3人もそれに続く。
そして光を発しながら宙に浮いていた三橋はふわりと地に降りてきて、そのままぱたと倒れる。
「神子様っ」
いち早く千代姫が三橋の倒れた方へ駆け寄る。
他は今自分の身に起こったことをうまく飲み込めず、動きが鈍い。
それでも三橋の所へ何とか駆け寄ると、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「……う、オ、オレ……」
「神子様っ」
千代姫は涙も流さんばかりに喜んでいる。
三橋の右手を包み込むようにして握り、その温かさに安堵のため息を漏らした。
三橋はぼうっとする頭を押さえて辺りを見回す。
そして、今自分の身に起こったことを思い出し、はっと目を見開いた。
「な、なんか、オレ、光って」
「そうですわ神子様、あなた様は龍神に選ばれた龍神の神子」
勢いよく詰め寄られて、三橋は思い切り後ずさった。
「千代姫」
「!も、申し訳ございません神子様。私は星の一族の末裔篠岡千代と申します。これから龍神の神子であるあなた様にお仕えさせていただきます」
そう言って、深々と頭を下げる。
「え、え、え」
状況が呑み込めていない三橋は口をパクパクとさせて驚くだけだ。
言葉が出てこなかった。
「ねぇ千代姫。とりあえず土御門邸に戻った方がいいんじゃない?こんなところじゃ落ち着いて話もできないんだからさ」
水谷が助け船を出す。
「そ、そうですわね、それでは皆様私の邸にいらっしゃってください。詳しいことはそちらで話します」
千代姫はそう言うと、花井に何かぼそぼそと告げ、花井は会釈するとそのままどちらかへ行ってしまった。
「それじゃ、オレも御上に今日のことを報告してくるよ。まさか自分が八葉になるなんて思わなかったけどねー。それじゃ、またあとで」
にっこり笑って、水谷もこの場から姿を消した。
後に残ったのは千代姫と三橋、栄口と西広の4人。
長い長い1日がようやく終わろうとしていた。
おまけ
「っなんだぁ、さっきの光?びびったー」
「おー、メシできたってよぉー」
「おっ!よっしゃ、今行くー」
「なんだ、さっきの光……それとこの感じ……」
「治部少丞殿?どうかなされましたか?」
「いや、なんでもない。さっさと仕事を終わらせてしまおう」
「今の光……もしかして」
「どうかしたのか?」
「御上」
「兄でよいといつも言っておるのに……それより悪いが今から左近衛府少将と会うのだ」
「水谷殿ですね、どうしたんですか、こんな夜更けに」
「うむ、どうやら龍神絡みらしいのだが」
「……そうですか」
(それじゃ、今の光はやっぱり……)
「京の気がまた乱れた」
「京の気の乱れ?またですか?私は感じませんでしたけれど」
「仕方ねぇよ、今回は微々たるもんだったしな」
「……」
「それより気をつけた方がいい、龍脈も乱れてる」
「龍脈の乱れ……?」
「四神も奪われ、いよいよ京の危機だぜ」
「え?」
「……現れたか、龍神の神子」
真っ赤な月が禍々しい光を放つ満月の夜だった。
尤もほんの数刻前までは、満月は清らかなほど白い光を湛え、京の町を明るく照らしていたのだが。
今はまるで血を啜ったようにその色を変えている。
京の町。
昔はもっと穏やかで美しく、人々の笑顔に満ち溢れていた都。
それが今はどうだ、あんなに美しかった京は穢れに満ち、怨霊が蔓延り、人々はそれに怯えて暮らしている。
そんな京を見おろせる高台に、人影が10人ばかり集まっていた。
尤も、そのうちの3人には意識がなく、顔を地に伏せている。
その3人をかばうようにして小柄な少女と男が2人、反対側をきつく睨みつけ立っている。
少女は年の頃15、6ほど。
柔らかな栗色の髪を肩へ流し、丸く大きな双眸がとても印象的だ。
仕立ての良い唐衣裳に身を包み、静かに前を見据えて立っている様はとても左大臣家秘蔵の令嬢には見えない。
顔を少し上げると、頭の大きな髪飾りがシャラッと優しい音を立てて揺れた。
その反対側には4人、真ん中の1人が緩く笑みを浮かべながら、少女たち3人を見ている。
こちらも年の頃は15、6ほど。しかしその表情はなんとも不可思議な仮面をつけているためによく見えない。
ただ着ている狩衣は遠目から見ても上等なもの。
肩には黒い毛皮のようなものを乗せている。
しかし、一番はその佇まいだ。
見るものを魅了し、従わせてしまう何かがこの男から感じられた。
残りの3人は膝を折り、頭を垂れて、彼の指示を待つがごとく控えていた。
お互い何をするでもなく沈黙の時が流れた。
どのぐらいそうしていただろうか。
先に口を開いたのは姫君の方だった。
「龍の宝玉を盗んだばかりでは飽き足らず、龍神の神子さえ我が物にしようとは」
歳相応の少し高い声音が、辺りに響く。
許しがたい、と眉根をきつく寄せ、全身で嫌悪感を顕わにする。
彼女は憤っていたのだ。
目の前の鬼たちにも、宝玉を盗まれるという失態を犯した自分自身にも。
あの後、宝玉をもう一度見た後、なぜあの部屋に留まらなかったのか、今でもそれが悔やまれてならない。
そうしていたら、神子様をこんな寒々しいところへ召喚することも、鬼に呼び出されるということもなかったのに。
自分が星の一族の末裔として、神子様を温かくこの時代へ迎えたかったのに。
それなのに、宝玉は鬼に盗まれ、いらした神子様は気を失って地面に倒れたままぴくりとも動かない。
神子がそばに倒れているのが悔しくて思わず唇を噛みしめそうになったところで、隣の男に諭される。
「千代姫、そんなに唇噛んだら切れちゃうよ。落ち着いて、ね」
「わかっております。私はいたって冷静です!」
だから、そうやって怒っちゃうのが冷静じゃないんだって、とため息をついた男は御上の信頼も篤い左近衛府少将水谷文貴だ。
彼がなぜここにいるのかといえば、千代姫が呼びに行かせたからなのだが。
本来なら、宝玉が光り龍神の神子が来ることを御上に伝えることがその任務だった。
しかし、あっという間に宝玉を鬼に奪われてしまい、御上から奪還の命を改めて受けたため、なし崩しにここにいる。
水谷本人は「オレは戦闘に向かないんだけどねー」とブチブチ零しているが、帝からの勅命とあっては行かないわけにはいかない。
腕が立たないなんていうのも、ただ単に面倒くさいからの言い訳であり、水谷は武官であるから腕ももちろんそれなりに立つ。
ただ普段ヘラリとしているから皆忘れているだけで。
「千代姫様、どうか落ち着いてください。オレがお守りいたしますので」
冷静な声で太刀を構えなおしたのは、左大臣家に仕える武士団の一人、花井梓だった。
本当ならば水谷だけでここに来るはずだったのだが千代姫がどうしても行くと言って頑として譲らず、花井付きであればよいという周囲の譲歩の結果、お伴することとなった。
左大臣はそりゃあもう心配なさって、今にも卒倒しそうだった。
千代姫が支度のため左大臣の部屋を離れたとき、花井と水谷は左大臣から、姫を守るようにときつく言い含められたのだ。
というわけで、千代姫を任された花井と水谷の責任は重い。
傷一つつけようもんなら、左大臣に顔向けができなくなってしまうくらいだ。
「梓、私のことはよいのです。それより神子様をお守りして。鬼などに神子様を渡してはなりません」
「ぶっ……あ、あずさ……くっくっく」
「……ですから、梓と呼ぶなとあれほど……水谷殿、笑いすぎです」
「水谷殿!笑ってる場合などではありません!神子様をお守りせねばならないのです!」
「ぶっ……あーはいはい、ごめんごめん。…っとそれより、どうやら目、覚めたみたいだよ」
水谷が目線で示すと、千代姫と花井の2人は即座にそちらに視線を落とした。
「……う?」
「……ってぇ」
「……ん」
地面に倒れていた3人のうめき声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「神子様っ」
即座に千代姫が三橋に駆け寄る。
「神子様っご無事でございますか?怪我はございませんか?よかったっ……ご無事で……」
心から安堵したようなその表情に花井と水谷の2人もほっと息をつく。
当の三橋は状況がいまいち理解できていないらしく、ぼんやりと千代姫を見つめていた。
「……え?……ここ、どこ?」
次に起きた栄口が腕を押さえながら体を起こした。
どうやら、空中へ放り出された時に腕を強か打ったらしく、腕が思うように動かないらしい。
「……って、え?……だ、誰?」
西広も体を起こして、今この状況に目を白黒させている。
その様子を見た千代姫は、ほっと息を吐きつつ、鬼の方にくるりと向きなおった。
神子が目を覚ました安堵感からか、その表情はさっきよりも自信に満ちていた。
梓、水谷殿、と静かに声をかけると、呼ばれた2人は目を覚ましたばかりの三橋たちに下がっているように告げ、鬼の方に向き直る。
三橋たちは状況がわかっていないながらも、不穏な空気を感じ取り、言われるがままに2人の後ろに隠れた。
「鬼、さあもう引きなさい。神子様には指一本触れさせない」
千代姫の決然とした口調に合わせて、花井と水谷は己の武器を構えなおす。
「威勢のいいことだな、星の姫よ」
今まで黙っていた男がすっと一歩前に踏み出した。
顔は仮面をかぶっていてよく見えないが、かすかに見える口元には常に笑みが張り付けられている。
その声には、嘲笑うかのような色。
下賤の者と対峙しているかのように、くっと微かに揶揄の音を落とした。
「あれ?」
とかすかに声を上げたのは西広だった。
隣を見ると、栄口もこっちを見ている。
表情から察するに、どうやら2人とも同じことを考えているらしかった。
周りには聞こえないようにぼそぼそと会話が始まる。
(あいつの声、聞いたことあるような気がしないか?)
(オレも今そう思ってた。もしかしてあいつさっきの……)
『さっきの井戸の化け物』
きれいに2人の声がハモる。
(やっぱり)
2人とも、改めて前にいる仮面の男に目を向けた。
自分たちが確かなら、三橋を攫おうとしてここにオレたちを連れてきたのはあいつだ。
行き場のない恐怖感と怒りがぞくっと湧き上がるが、なんとか耐える。
自分たちがここで出しゃばっても、どうしようもないからだ。
明らかに自分たちの許容範囲を超えている存在なのだ、目の前の仮面の男も、今のこの状況も。
ちらと同時に横にいる三橋に視線をやると、恐怖の色を瞳に湛えて目の前の仮面の男を見ていた。
こいつが狙いなら、なんとか守らなければ。
2人とも何の違和感も感じることなくすんなりとそう考えて、目の前の男に視線を戻した。
「だがな、そうやって神子をかばったとしても無駄だ。宝玉は我が手にある。……神子、我が下に来るがいい」
薄く笑みを浮かべながら男が高らかにそう告げると、すい、と右手の宝玉を前に差し出した。
「う、あっ、な、なに?」
視線が声のした方、三橋に集まる。
すると、何の前触れもなく三橋の体は宙に浮き始めていた。
ゆっくりとふわりと体が空に昇って行く。
「なっ」
「三橋!!」
「神子様」
それぞれが驚きの声を上げる。
鬼の一族が妖しの術を使うことは知っていたが、こんな術など聞いたことがない。
人を空に浮かせる術など。
「あっ、や、だ、た、たすけ、」
「三橋ぃ!」
三橋が栄口と西広に向かって手を伸ばす。
2人も精一杯手を伸ばしているのに、あとちょっとのところで届かない。
いやだ、行きたくない。
あの仮面の人は、怖い。
あの時も、最初に会った時も何か怖かった。
どうしてなのか全然わからないけれど、あの人のところには行きたくない。
いやだ、助けて、栄口君、西広君。
「た、たすけ、いや、だ、行きたく、ない、よ」
(助けて!)
手を伸ばしている三橋から一滴の涙が零れた。
「っな」
「宝玉が……!」
それは本当に突然だった。
仮面の男の持つ龍の宝玉が突然まばゆいばかりの輝きを帯びたのである。
と、同時に三橋の体も眩しい輝きに包まれだす。
その体からは肌で感じられるほどの神気が溢れ出ていた。
「なんだ……いったいこれは!」
宝玉から溢れ出す神気にあてられたのか、仮面の男が焦ったように宝玉から離れた。
なおも輝きを増す宝玉を見つめながら、茫然と立ちすくんでいる。
「……あぁ」
千代姫の口から感嘆のため息が漏れた。
それは千代姫自身が待ち望んでいた光景でもあり、星の一族の血が覚えている光景でもあった。
(この瞬間を目にできるなんて、私は星の一族として幸せ者です)
誰に言うことはなく、心の中で千代姫はそう思った。
この瞬間、すなわち八葉誕生の瞬間を。
宝玉は光をどんどん増し、突如8色の光の粒に分かれた。
くるりと粒が一周した後、ばっと散り散りになって飛んで行った。
それぞれ、選ばれし者の許へ。
「!」
「うわっ」
「なっ」
「え?」
そのうちの4色の光はひゅんと頭上を旋回した後、この場にいた栄口と西広、花井、水谷の中へと消えていく。
光が入った4人の体はそれぞれの光の色に輝いていた。
呆然として言葉が出ない皆を尻目に、藤姫が口を開く。
「今八葉が選ばれた。京を救う、龍神の神子を護るために」
「……そうか、あくまで我々と戦うつもりということか。分かった、それがお前たち人間の判断というわけだな」
一瞬激しく動揺した仮面の男はしかし、先刻と同じように口元に緩く笑みを刷くと、すっとその場から消えてしまった。
残された3人もそれに続く。
そして光を発しながら宙に浮いていた三橋はふわりと地に降りてきて、そのままぱたと倒れる。
「神子様っ」
いち早く千代姫が三橋の倒れた方へ駆け寄る。
他は今自分の身に起こったことをうまく飲み込めず、動きが鈍い。
それでも三橋の所へ何とか駆け寄ると、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「……う、オ、オレ……」
「神子様っ」
千代姫は涙も流さんばかりに喜んでいる。
三橋の右手を包み込むようにして握り、その温かさに安堵のため息を漏らした。
三橋はぼうっとする頭を押さえて辺りを見回す。
そして、今自分の身に起こったことを思い出し、はっと目を見開いた。
「な、なんか、オレ、光って」
「そうですわ神子様、あなた様は龍神に選ばれた龍神の神子」
勢いよく詰め寄られて、三橋は思い切り後ずさった。
「千代姫」
「!も、申し訳ございません神子様。私は星の一族の末裔篠岡千代と申します。これから龍神の神子であるあなた様にお仕えさせていただきます」
そう言って、深々と頭を下げる。
「え、え、え」
状況が呑み込めていない三橋は口をパクパクとさせて驚くだけだ。
言葉が出てこなかった。
「ねぇ千代姫。とりあえず土御門邸に戻った方がいいんじゃない?こんなところじゃ落ち着いて話もできないんだからさ」
水谷が助け船を出す。
「そ、そうですわね、それでは皆様私の邸にいらっしゃってください。詳しいことはそちらで話します」
千代姫はそう言うと、花井に何かぼそぼそと告げ、花井は会釈するとそのままどちらかへ行ってしまった。
「それじゃ、オレも御上に今日のことを報告してくるよ。まさか自分が八葉になるなんて思わなかったけどねー。それじゃ、またあとで」
にっこり笑って、水谷もこの場から姿を消した。
後に残ったのは千代姫と三橋、栄口と西広の4人。
長い長い1日がようやく終わろうとしていた。
おまけ
「っなんだぁ、さっきの光?びびったー」
「おー、メシできたってよぉー」
「おっ!よっしゃ、今行くー」
「なんだ、さっきの光……それとこの感じ……」
「治部少丞殿?どうかなされましたか?」
「いや、なんでもない。さっさと仕事を終わらせてしまおう」
「今の光……もしかして」
「どうかしたのか?」
「御上」
「兄でよいといつも言っておるのに……それより悪いが今から左近衛府少将と会うのだ」
「水谷殿ですね、どうしたんですか、こんな夜更けに」
「うむ、どうやら龍神絡みらしいのだが」
「……そうですか」
(それじゃ、今の光はやっぱり……)
「京の気がまた乱れた」
「京の気の乱れ?またですか?私は感じませんでしたけれど」
「仕方ねぇよ、今回は微々たるもんだったしな」
「……」
「それより気をつけた方がいい、龍脈も乱れてる」
「龍脈の乱れ……?」
「四神も奪われ、いよいよ京の危機だぜ」
「え?」
「……現れたか、龍神の神子」
やっと話が動いたよーー
2008/11/28 composed by Hal Harumiya
2008/11/28 composed by Hal Harumiya