一番近い存在

「あーー今日も終わった終わったー!なーコンビニ寄って帰ろーぜ」

今日もきつい部活を一日乗り越えて。 さぁ帰るかって、自転車にまたがろうとしたそんな時、校門の方から誰かを呼ぶ大きな声が聞こえてきた。

「おーーーい、廉ーーー!」

 生憎と午後9時過ぎなこともあり、周りにはオレたち以外人影がないからきっとオレたちに用があるのだろうが。 それにしても、この声どっかで聞いたことあるような気がする。 というか、廉って誰だ? お互いがお互いの顔を見合わせていると、校門の影から人影がひょっこりと顔を出した。

 「……っ」

 息をのむ声が聞こえて横を見ると、三橋が目を丸くして人影を凝視していた。 ここからじゃ、暗くて顔がよく見えないけれど、三橋はすぐに誰だかわかったらしい。

 「っしゅ、修、ちゃ」

 たどたどしい声でそう告げると、三橋は人影からいっさい目を離さず小走りに近づいて行った。

 「廉!」

 人影も三橋の名前を呼びながら(そういえば、三橋は廉という名前だったな)、こちらに近づいてくる。 というか、修ちゃんって誰よ? またしてもオレたちはお互いに顔を見合せた。

 「あ……あれ、三星の……叶じゃね?」

 誰かがぽそりと言葉を漏らすと、一斉に視線が2人の方を向いた。 2人はオレたちの視線に全く気付かず、再会を喜んでいるようだ。

 え、三星の叶?
 なんでこんなところに?
 というか、叶って三橋のこと三橋って呼んでなかったっけ?
 それより、三橋だって叶のこと叶君って呼んでたよね?

 さまざまな疑問がオレたちの間を一気に駆け抜けたが、当の本人たちはそんなオレたちをさっぱり無視して会話を続けている。 いつも蚊の鳴くような小さな声で話す三橋だったけれど、おそらく叶に会えた嬉しさのまま話しているのだろうそんな声が出るなら初めっから出しやがれと言いたくなるくらい聞き取りやすい声量で言葉を紡いでいて、その声がばっちりこちらまで聞こえてきた。

 「しゅ、修ちゃ、なんっ、で?」

 街灯の下でかすかに三橋の頬がさっきより赤みを増していた。 興奮しているのだろう、いつもより声が上ずっている。

 「廉の通ってる学校を見に来た」

 あっさりと彼はそう告げた。 おいおい、今何時だと思ってんだよ。 心の中でそう突っ込みつつ、オレらは会話に聞き耳を立てる。

 「えっ、で、でも、夜、どうす、るの?」

 地味に埼玉から群馬は遠い。 電車で帰る……今から?

 「今日は廉ちに泊めてもらうわ。おばさんにも連絡済みだぜ?」

 と、勝ち誇った顔でピースした。

 なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!

 西浦高校野球部の心が一つになった瞬間だった。 聞いた瞬間、三橋の顔がさらにキラキラした。 あーなんてまぶしい……。 とりあえず三橋はめちゃくちゃうれしそう。

 「そんで明日、埼玉案内しろよ。オレ埼玉初めて」

 ニカッとさわやかに叶は笑った。 三橋はといえば一も二もなくこくこくと激しくうなずいている。 そういえば、都合のいいことに明日は部活休みだったっけ、とぼんやり思った。 みんななんとなく二の句が継げないでいると、オレの脇腹を誰かがこづいた。 視線をやると、隣にいた水谷がヘらりと笑いながら耳打ちしてくる。

 「ねぇねぇ、叶と三橋ってどういう関係?」

 ただの元チームメイトじゃなかったの? 水谷が言外に含ませた意味は即座に分かったけれど。

 「さぁな」

 そっけなく答える。 そんなのこっちが聞きたいくらいだ。

 「少なくとも、「廉」「修ちゃん」って呼び合う仲なんだろうな」

 ということは、実はあいつらは相当親しい仲だったということか。 自分で口に出してみて初めてあいつらがそんな関係だったことを理解したような気がした。 そう告げると、水谷がニヤッと笑いながら、

 「だよね。三橋のおばさんに連絡して、泊っちゃうくらいだもんね」

 どこかおどけた調子で呟く。 それがなんとなく面白くなくて、オレはヤツの腹に一発お見舞いしてやった。

 「〜〜〜ってぇーー!泉、あにすんの!」
 「うるせぇ!話聞こえねぇだろうが。ちょっと黙っとけ」

 もう一発脇腹に決め、視線を件の2人に戻す。 そういえばかなり堂々と立ち聞きしてることになるけど、この際そこはどうでもよく。 気になる、ただそれだけ。 なんで気になるかはめんどくさいので頭の隅に追いやった。 すると、ちょうど話がまとまったのか三橋が少し駆け足でこっちに戻って来るところだった。 練習が終わった後とは思えないくらいその顔は生き生きと輝いていて。

 ( さっきまでの顔と全然違うぜ )

 むしろ目がキラキラと輝いていて、楽しそうだ。

 「あ、あのっ、オ、オレ、今日しゅ……か、叶君と、帰る、ね、ご、ごめんなさ、い」

 申し訳なさそうにそう告げる三橋をオレたちはただ見つめていた。 一瞬、無言の時間が流れる。 何を言っていいかわからない時間。 聞きたいことはたくさんあるのに、口が動いてくれない。 おう、気をつけて帰れよと言えばいいのに、言えない。

 「れーーーーーん!」

 自分の思考に埋没していたオレたちを現実に呼び戻したのは、叶が三橋を呼ぶ声だった。 ハッと覚醒したオレたちは慌ててその場を取り繕う。

 「……お、おお!き、気をつけて帰れよ!」

 花井の一言に安心したのか、ほっと息を吐き、三橋は優しく笑ってそれじゃ、と頭を下げた。

 「じゃーな、三橋ぃ!また月曜日な!」

 一際大きな田島の声にびくっと肩をふるわせた後、バイバイと小さくつぶやいて、三橋は走って叶の所へ向かった。 二言三言何か会話した後、叶がこっちに向かって、

 「今日は突然来て悪かった!またなーーーー」

 と手を振って、2人で並んで校門から出て行った。 その2人で並んでいる後姿が昔からそうしてきたように、怖いくらいしっくりと収まっていて。 その間、オレたちは何も言葉を発することなく2人の後姿を眺めていた。
 2人の姿が完全に見えなくなった後。

 「……なんかつまんねぇ」

 田島がぼそりと呟いた。 その瞬間、止まっていた時間が動き出すみたいに会話が始まった。

 「え?なにそれなにそれどういうこと?」
 水谷が問えば。

 「……だって、三橋のヤツ叶が来たとたんテンションあがっちゃってさ。なんかつまんねぇ」
 田島がおもしろくなさそうにつぶやく。

 「それにしても、三橋と叶は家に泊まるほど仲良かったのか?」
 花井がごく自然に疑問を口にすると。

 「あー、なんか幼馴染だって前に三橋が言ってた気がする」
 栄口が記憶をたどりながら答える。

 「……三橋があんなに喜んでるのオレ初めて見たかも」
 巣山がそう零すと。

 「オレもオレも。……仲良かったんだね、三橋と叶」
 沖が複雑そうな顔をした。

 それはそうだ。

 「あんなに仲いい奴いるなら……なんで……」

 思わず口から洩れた呟きにハッとして慌てて口をつくんだけれど時すでに遅し。 全員の視線がオレに集まる。

 ( しまった、言うつもりじゃなかったのに )

 瞬間オレは後悔した。 これは三星の奴らと三橋自身の問題なのだ。 そしてこの問題は三橋自身ですでに決着をつけている。 部外者のオレたちがどうこう口を出す問題じゃない。 わかってたはずなのに、あんな光景を見せられて。 つい、口から出てしまった。

 「わり、今のなし。忘れてくれ」

 視線を外して言うと、気配でみんなぎこちなくうなずいてくれたのがわかった。 みんな、ちゃんと分かっている。 そして、みんな同じことを思っている。

 「助けて、やらなかったのかな……」

 それはとても小さな声で。 いや、小さな声だからこそしんとした正門前にいやに響いた。

 「水谷っ!!」

 阿部がとたんに鋭い声を出す。 水谷だけじゃなく、オレまでビビるくらい暗い視線。

「ご、ごめん!でも!……でもさ……」

 やりきれないよ、と水谷にしては珍しく阿部に対抗している。 阿部も内心そう思っているのか、苦虫を潰したような表情でちっと舌打ちをした。 他のみんなもなんとなく下を向いて、あたりに重い空気が流れた。 実際三星でどんないじめがあったのか正確なところはわからない。 けど、浜田が言うには昔はあんなに人を怖がるような奴じゃなかったって。 すぐ泣くけど、よく笑う野球が大好きな子供だったって。 それが中学の時の経験からあんなに憶病で卑屈な奴になっちまったんだっていうなら。
 やりきれない。
 オレたちが口を出すところじゃないのがわかってるからなおさら。 出会ったのは高校。 それ以前はわからない。 手の差し伸べようもない。 どうして手を差し伸べてやらなかったんだと、詰め寄りたくても。 結局オレたちはあいつに何もしてやることはできないのだ。

 「あのさー、それでもオレたちは今あいつの仲間じゃん?」

 視線が一気に声のした方、田島に集まる。

 「今仲間でいられるのはオレらだけなんだよな」

 いくら幼馴染でも、高校が違えば並び立つことなどできない。

 「中学で一人ぼっちだった分、オレらが三橋にいっぱいいい思いさせてやればいいんじゃねぇ?」

 いっぱいいっぱい思い出を作ってつらい過去を覆い尽くしてしまえるように。 そして、ずっと未来になって、こんなこともあったね、なんて三橋が笑っていられるように。 そしてなにより。

 「三橋はオレたちに必要だろ。ゲンミツにさ」

 ニカッと親指を立てて田島は笑った。 あまりにもあっさりさっぱり田島がそういってのけたものだから。

 「……ふっ」

 誰からともなく、笑みがこぼれる。

 「ふっ……そうだな。あいつの味方でいれんのはオレらだけだな」

 3年間これから苦楽を共にしていくのは誰でもないオレたちだ。 見回すと、誰もがヘヘッっと笑って大きくうなずいていた。

 「つーか、もとはといえばおめぇが〜〜〜っ」
 「だって、三橋がオレたちのこと全然気にしてねぇからちょっとムカついたんだもんよー」

 花井にどやされながら田島が必死に弁解する。

 「……まあ、確かにそうだな。……オレも面白くなかった」
 花井が頬を掻きながら照れたように言う。

 「オレもオレも。あんなにキラキラした顔めったに見せないのにさー」
 ちぇーと水谷が膨れれば。

 「面白くないくらいならまだいいよ、あ、阿部なんてよくわからないオーラ出してたし」
 オレ怖くて目向けられなかったもんと、小声でその阿部の隣にいた西広が震えながら証言する。 わいわいと、いつもの野球部の騒がしさがオレらに戻ってきたのがわかった。

 「じゃあ明日はさ、」

 はい、と挙手して花井にあてられたオレ。 いいこと思いついちまったもんね。 口元がにやりと歪む。

 「みんなで叶に埼玉案内してやろーぜ」

 一瞬の間の後、みんな一斉ににやりと笑って。

 「いーずみぃ、ナイスアイディア!」
 「あー明日なんも予定入れてなくてよかったー」
 「もう、とことんひっぱりまわしてやろうぜ!あ、三橋も一緒にな」

 おーーーーーー!
 9時過ぎの正門前にもう一度大きな声が響き渡った。




 「ちょ、ちょっとまて。さ、さすがにそれは……」
 「諦めろ、花井。つか、お前もどうせ来るだろうが」
 「……( そうなんだけどさ…… )」




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2008/10/24 composed by Hal Harumiya


はちみつトースト / 一番近い存在