※もし忍人が逝く前に千尋が忍人を発見していたら、というif設定
「ああ……式が終わった、のか……」
遠くでうねるような歓声と、陛下万歳という掛け声が聞こえる。 地に膝をついて体を支えていたけれど、それももはや限界のようだ。 自力では体を支えることができなくなり、ぐらりと視界が揺れる。 力が入らなくなった体はあっけなく地に伏せた。 乾いた地面がやけに温かい。
季節はもう春を迎えようとしていることを、この時初めて実感した。
「ぐっ……」
恐ろしいほどの疲労感。これが死というものなのか。 体だけでなく、瞬きすることさえつらくなってくる。
俺としたことが、たかが賊二人にここまで深手を負わされるとは。 いや、もともと消えてもおかしくない身だ。 俺の体、いや、魂はもう食い尽くされて、ないも等しいものだったのかもしれない。
それでもなんとか立っていられたのは、ひとえにあの姫…いや、陛下のおかげだ。 姫が一人前になるまでは、中つ国の王となるまでは死ぬことはできない。 そう言い聞かせて、破魂刀に届くか分からない願いを祈り続けて、ここまで来た。
彼女の即位の日が確かに終着点なのだろう。 すべては決まっていたことなのかもしれない。
ぼんやりとする頭で、妙に納得してしまう自分がいた。
彼女は無事にこの国の王となった。
大勢の民に心から祝福されての即位だ。 これから彼女がその位を誰かに明け渡すまで、この国は平和で満ち足りた世界になるだろう。 その世界を自分が感じることができないということが残念ではあるが。
死ぬということが怖いのではない。 破魂刀を手にしたその日から、俺の最期は決まっていたようなものだから。
彼女には……千尋にはどう説明したらいいだろうか。 一兵が死ぬのも許さないと謳われている君だから、きっと悲しむだろうな。 君は俺のこの姿を見たら、泣いてしまうだろうか?
「……さ……、ひとさーん」
その時遠くから聞こえてきたその声は、よく知った何よりも聞きたいと思っていた声で。 しかし、同時に今は聞きたくなかった声で。 彼女を、悲しませてしまうのは、すごく残念だったから。 見つからなければよいと思ったけれど、この世界の神はとことん人間に厳しいらしい。
「おしひ……っ忍人さんっっ!?」
のんきな呼び声が近くで突然驚きと焦りの混じった声に変わる。
ああ、見つかってしまった。
「な……忍人さんっっ!一体これは……ううん、そんなことよりおお医者さ……いえ、薬師を呼ばなくちゃ……っ」
「千尋」
慌ててこの場から去ろうとする彼女を呼び止めたのは、純粋にこの場に、俺のそばにいてほしかったからだ。 ただただ彼女の近くにいたい気持ちが大きかった。
呼び止めると、彼女はゆっくりと振り向いた。 ぼんやりとだが、その瞳に涙を湛えているのがわかった。 彼女も気づいているのだ。 俺がそう長く持たないことに。
「おし…ひとさん」
その声ははっきりと震えていた。
「今、今、……待っててください。今誰か呼びに行きますから、絶対助けますから。大丈夫ですから、お願い待っててください!」
彼女の声音がだんだん悲鳴に近くなる。
「いや、君はっ……ここにいて、くれ」
そうして、俺の話を聞いてくれないか。
もう、長くないことは分かっているから。
せめてそばにいてくれないか。
最期の時まで。
そう告げると、彼女は苦しそうに眉根を寄せ。
「でもっ……」
今にも誰か呼びに飛んで行ってしまいそうだから。
「頼む……千尋」
行かないよう、彼女の衣の裾を捉えるため腕を動かした。 なかなか動かない左手を無理やり持ち上げると、彼女は慌てて俺の手をつかんだ。
なんとその手の温かいことか。
「忍人さんっっ」
ふわりと体が何かに包み込まれた。
働かない頭を巡らして、ようやく自分は彼女に抱きしめられているのだと知った。 即位の儀の格好そのままに、自分が泥だらけになるのもかまわず、彼女はただ俺を抱いていた。
「〜っ、〜〜〜っふっ。……っあっ」
嗚咽を漏らしながら。
何をしても助からないと、彼女もわかっているのだろう。 もう、ここから動こうというそぶりはみせなかった。 ただ、それしか選択肢がないのが悔しいとばかりに彼女は泣いていた。
ああ、意識がだんだん遠くなってきた。
このまま、泣かせたまま俺は彼女と別れてしまうのだろうか。
彼女は俺を笑わせてくれたのに、たくさんのものを与えてくれたのに。 何一つ返せないまま、俺は逝くのだろうか。
「……ち…ひろ、」
喉に張り付いてうまく出ない声を振り絞って俺は告げる。
「……すまない、俺は君を泣かせてばかりだ……」
そう言うと、彼女は首を左右に強く振り。
「そんなことないです!!忍人さんは……忍人さんは……忍人さんがいたからわたしっ……」
首を振る度、涙がキラキラと舞う。
「……千尋、頼みがある」
いつも泣かせるか、戸惑わせるかばかりで。 君を笑わせることすらできない男の最後の願い。
「泣いて欲しくないんだ、だから笑って……くれないか」
君に願ってばかりの俺だったけれど、この願いはどうしても聞き入れてほしかった。
最後に君の笑顔が見たい。この魂の記憶の最後が君の笑顔だったなら、俺の人生も悪いものじゃなかったと言えるから。
「笑うことなんて……できない……っ」
君はそう言って、また透明な雫を頬に流す。 俺を抱きながら、頭をなでながら。
ああ、こうやって君に抱かれていると安心するな……。 幸せで、ものすごく満ち足りた気分だ。
ただ。
「すまない。……俺のこの手で、君を抱きしめることができなくて」
この手に力があれば、君をきつく抱き締めて逝くのに。
その温かさを、感触を胸に。
「千尋、笑って、くれないか」
君の笑顔が、見たいんだ。
< そう改めて言うと、彼女は一呼吸おいて、涙と嗚咽でくしゃくしゃになりながら、
「忍人さん……これでいいですか?わたし……笑えてます、か?」
笑顔を、見せてくれた。
俺はその顔を、残り少ない魂に消えないよう刻み込んだ。
もう、幾度時空(とき)が廻ろうと決して忘れない。
「ああ、ああ……ありがとう、千尋」
「君は……俺の生涯で、一番大切な……」
言葉は最後まで続かなかった。
君は俺の生涯で一番大切な女性(ひと)だったよ。
「ああ……式が終わった、のか……」
遠くでうねるような歓声と、陛下万歳という掛け声が聞こえる。 地に膝をついて体を支えていたけれど、それももはや限界のようだ。 自力では体を支えることができなくなり、ぐらりと視界が揺れる。 力が入らなくなった体はあっけなく地に伏せた。 乾いた地面がやけに温かい。
季節はもう春を迎えようとしていることを、この時初めて実感した。
「ぐっ……」
恐ろしいほどの疲労感。これが死というものなのか。 体だけでなく、瞬きすることさえつらくなってくる。
俺としたことが、たかが賊二人にここまで深手を負わされるとは。 いや、もともと消えてもおかしくない身だ。 俺の体、いや、魂はもう食い尽くされて、ないも等しいものだったのかもしれない。
それでもなんとか立っていられたのは、ひとえにあの姫…いや、陛下のおかげだ。 姫が一人前になるまでは、中つ国の王となるまでは死ぬことはできない。 そう言い聞かせて、破魂刀に届くか分からない願いを祈り続けて、ここまで来た。
彼女の即位の日が確かに終着点なのだろう。 すべては決まっていたことなのかもしれない。
ぼんやりとする頭で、妙に納得してしまう自分がいた。
彼女は無事にこの国の王となった。
大勢の民に心から祝福されての即位だ。 これから彼女がその位を誰かに明け渡すまで、この国は平和で満ち足りた世界になるだろう。 その世界を自分が感じることができないということが残念ではあるが。
死ぬということが怖いのではない。 破魂刀を手にしたその日から、俺の最期は決まっていたようなものだから。
彼女には……千尋にはどう説明したらいいだろうか。 一兵が死ぬのも許さないと謳われている君だから、きっと悲しむだろうな。 君は俺のこの姿を見たら、泣いてしまうだろうか?
「……さ……、ひとさーん」
その時遠くから聞こえてきたその声は、よく知った何よりも聞きたいと思っていた声で。 しかし、同時に今は聞きたくなかった声で。 彼女を、悲しませてしまうのは、すごく残念だったから。 見つからなければよいと思ったけれど、この世界の神はとことん人間に厳しいらしい。
「おしひ……っ忍人さんっっ!?」
のんきな呼び声が近くで突然驚きと焦りの混じった声に変わる。
ああ、見つかってしまった。
「な……忍人さんっっ!一体これは……ううん、そんなことよりおお医者さ……いえ、薬師を呼ばなくちゃ……っ」
「千尋」
慌ててこの場から去ろうとする彼女を呼び止めたのは、純粋にこの場に、俺のそばにいてほしかったからだ。 ただただ彼女の近くにいたい気持ちが大きかった。
呼び止めると、彼女はゆっくりと振り向いた。 ぼんやりとだが、その瞳に涙を湛えているのがわかった。 彼女も気づいているのだ。 俺がそう長く持たないことに。
「おし…ひとさん」
その声ははっきりと震えていた。
「今、今、……待っててください。今誰か呼びに行きますから、絶対助けますから。大丈夫ですから、お願い待っててください!」
彼女の声音がだんだん悲鳴に近くなる。
「いや、君はっ……ここにいて、くれ」
そうして、俺の話を聞いてくれないか。
もう、長くないことは分かっているから。
せめてそばにいてくれないか。
最期の時まで。
そう告げると、彼女は苦しそうに眉根を寄せ。
「でもっ……」
今にも誰か呼びに飛んで行ってしまいそうだから。
「頼む……千尋」
行かないよう、彼女の衣の裾を捉えるため腕を動かした。 なかなか動かない左手を無理やり持ち上げると、彼女は慌てて俺の手をつかんだ。
なんとその手の温かいことか。
「忍人さんっっ」
ふわりと体が何かに包み込まれた。
働かない頭を巡らして、ようやく自分は彼女に抱きしめられているのだと知った。 即位の儀の格好そのままに、自分が泥だらけになるのもかまわず、彼女はただ俺を抱いていた。
「〜っ、〜〜〜っふっ。……っあっ」
嗚咽を漏らしながら。
何をしても助からないと、彼女もわかっているのだろう。 もう、ここから動こうというそぶりはみせなかった。 ただ、それしか選択肢がないのが悔しいとばかりに彼女は泣いていた。
ああ、意識がだんだん遠くなってきた。
このまま、泣かせたまま俺は彼女と別れてしまうのだろうか。
彼女は俺を笑わせてくれたのに、たくさんのものを与えてくれたのに。 何一つ返せないまま、俺は逝くのだろうか。
「……ち…ひろ、」
喉に張り付いてうまく出ない声を振り絞って俺は告げる。
「……すまない、俺は君を泣かせてばかりだ……」
そう言うと、彼女は首を左右に強く振り。
「そんなことないです!!忍人さんは……忍人さんは……忍人さんがいたからわたしっ……」
首を振る度、涙がキラキラと舞う。
「……千尋、頼みがある」
いつも泣かせるか、戸惑わせるかばかりで。 君を笑わせることすらできない男の最後の願い。
「泣いて欲しくないんだ、だから笑って……くれないか」
君に願ってばかりの俺だったけれど、この願いはどうしても聞き入れてほしかった。
最後に君の笑顔が見たい。この魂の記憶の最後が君の笑顔だったなら、俺の人生も悪いものじゃなかったと言えるから。
「笑うことなんて……できない……っ」
君はそう言って、また透明な雫を頬に流す。 俺を抱きながら、頭をなでながら。
ああ、こうやって君に抱かれていると安心するな……。 幸せで、ものすごく満ち足りた気分だ。
ただ。
「すまない。……俺のこの手で、君を抱きしめることができなくて」
この手に力があれば、君をきつく抱き締めて逝くのに。
その温かさを、感触を胸に。
「千尋、笑って、くれないか」
君の笑顔が、見たいんだ。
< そう改めて言うと、彼女は一呼吸おいて、涙と嗚咽でくしゃくしゃになりながら、
「忍人さん……これでいいですか?わたし……笑えてます、か?」
笑顔を、見せてくれた。
俺はその顔を、残り少ない魂に消えないよう刻み込んだ。
もう、幾度時空(とき)が廻ろうと決して忘れない。
「ああ、ああ……ありがとう、千尋」
「君は……俺の生涯で、一番大切な……」
言葉は最後まで続かなかった。
君は俺の生涯で一番大切な女性(ひと)だったよ。
悲恋は嫌いじゃないですが切なくなりますね
2008/07/23 composed by Hal Harumiya
Lacrima / 泣いて欲しくない、だから笑って2008/07/23 composed by Hal Harumiya