いなくならないで

※高校1年生の那岐と千尋の話




 「んもうっ那岐!どこに行ってたの?探したのにーーーー」

 そう言って軽く頬を膨らませる彼女。 その様はまるで小動物。 その膨れた頬を軽くつつくと、ぷぴっという音がして口から息が抜けた。

 「ちょっ、那岐!変な音出しちゃったじゃない」
 「そんな膨れた顔してる千尋が悪い」

 そう切り返すと、言い返せなくなったのか、うううと唸りながら眉を吊り上げた。
 年よりも若干幼い仕草に思わずため息が出る。

 (そんなだから、面倒くさいことになるんだ)

 とは口には出さないが。 思うくらいならかまわないだろう。 たった今、それで面倒を被ってきたばかりだ。

 「で?那岐どこ行ってたの?」

 言うまで動かないと言っている千尋を尻目に僕は自分のカバンを持ちすたすたと歩き出した。
 そうすれば千尋は慌ててついてくるから。

 「あ!ちょ、ちょっと那岐待ってよ!」

 案の定千尋は慌てて自分のカバンを持って僕の後を追いかけてきた。 千尋に気づかれないようにうっすらと口元を歪める。
 やっぱりこの関係がベストだ。 これが壊れるなんて、認めない。 そんなの僕は許さない。

 ( 悪いね、そういうわけなんで )

 さっき僕を呼び出した名前も知らない同級生に心でぞんざいな謝罪をすると僕は千尋に意識を向けた。

 「千尋、帰るよ」

 僕がそう言うと、千尋は呆れたような顔を浮かべ、

 「……あとで絶対聞き出すから」

 と、僕の横に並んだ。
 どうぞ。 でも僕は絶対答えないけど。
 そしてあいつも。 僕は協力するなんて、一言も言ってないからね。


数刻前―――

 「で?こんなところに呼び出して何の用?」

 声音も自然に不機嫌になる。 呼び出されたのは人気も少ない調理室の前。 そして僕を呼び出したのは男。 まあ、中肉中背、器量も中くらい。

 ( げ。来るんじゃなかった )

 わざわざ名前も知らない男の面倒くさい呼び出しに応じてみれば、この状況は何だ。

 「何?あんた、そっちの趣味でもあるの?」

 思っていることをスパッと聞いてみれば、その男は焦ったように首を横に振った。

 「ち、違うっ!!ここに芦原を呼んだのは、えと、」

 赤い顔にさらに朱が走る。
 もともとそこまで鈍いほうでもない僕はこの男の雰囲気からなんとなく用件を察してしまった。 当然もともとそんなに高くもなかった気分が一気に急降下する。

 「なに?千尋絡み?」

 そう問うと、はじかれたようにこの男は顔をあげた。

 ( ビンゴかよ、面倒くさい )

 「芦原はいとこ同士だって聞いたし、一緒に暮らしているって聞いた。だから―――」

 聞かれてもいないのに、男は取り繕うかのようにしゃべり続ける。

 ( ああ、面倒くさい )

 男の話も半分に僕は心の中で呟いた。
 なんで僕が名前も知らない男の恋を取り持たなきゃならないわけ? よりによって相手は千尋。
 あり得ない。 頭をその一言が支配する。
 この男が千尋を好いているのも気に食わないし、千尋がこんな男に好かれているのも気に食わない。 絶対ないだろうが、一瞬この男の隣に立つ千尋を想像して吐き気がした。
 本当にあり得ない。
 千尋の隣に在るのは僕だけでいいのに。
 恋なんて感情ではない。 愛でもない。 そんなきれいなものじゃない。
 ただ、千尋の隣に僕の知らない誰かがいることにものすごい違和感と嫌悪感を覚えるだけだ。

 「で?僕に何してほしいのさ」

 まだ何か喋っていた男の話を打ち切り、僕は尋ねた。
 この場から早く立ち去りたい。
今頃千尋は僕を探しているはずだ。 この男のもとにいるより、千尋のところで文句を聞いたほうがまだマシというもの。  男はそれを聞いて何を勘違いしたのか、これ幸いとばかりに勢いよく僕に告げた。

 「そう!芦原、頼む伝えてくれ、芦原に日曜日の12時に学校前で待ってるって」

 告白の機会なんて、与えてやるわけないだろ。
 心の中で独りごちながら、僕は一言「わかった」と言ってその場を後にした。
 そうして先刻の千尋との会話に至るわけだけれど。
 こうして肩を並べて一緒に下校しながら、ぼんやりと僕は思った。

 ( いつか、千尋も僕から離れることがあるのかな? )

 千尋の意志で僕から離れていくことがあるのだろうか?
 千尋に想う相手がいたら、離れていくのだろうか?

 ( いやだ )

 いなくならないで。 純粋にそう思った。
 その後、自分の自己中心的な考えを心の中で嘲笑(わら)う。
 千尋が僕をすきになっても、僕はそれには応えるつもりはないのに。 それでも千尋を手放したくないなんて。

 ( 僕は何考えてるんだ、ああ面倒 )

 あの男の浮ついた気にあてられたのか、と小さく息をつく。

 (そもそも僕と千尋はそういう関係じゃない。そんなのお互い望んでないし)

 そう結論づけてこの無駄な思考を終了させた。
 そうだ。 この関係が変わることなんてありえない。 そんなの千尋も僕も望んでいない。 今まで通りこれからもこうやって隣にいられればそれでいいのだ。

 ( でも、もしお互いの気持ちが変わることがあれば、 )

 その時僕は、どうするだろう?

 「那岐?どうしたの?」

 声がして視線を移すと、千尋がきょとんとした顔をしてこちらを見上げていた。
 その視線があまりにも見知ったものだったから。
 大丈夫だ、と自分に言い聞かせた。 大丈夫、きっと何も変わらないまま暮らしていける。 突然、知らない顔を見せるなんてこと絶対にない。

 「……何でもない。ほら前見ないとまた転ぶよ」

 そう告げて、言ったそばから転びそうになる彼女の体を支えた。

 大丈夫だいじょうぶ。 何も変わらない。
 変わらなければ、僕はいつまでも君のそばにいれるんだ。
 この温かい関係を僕はなにをしたって守り抜いてみせる。




おまけ

 その日の夜。

 「風早」

 僕は風呂から上がった風早を呼び止めた。

 「那岐、どうしたんです?」
 「今度の日曜12時に校門ね」
 「は?」

 話の展開についていけないらしい。目を丸くして僕を見つめている。

 「お呼び出しだよ、芦原さん」

 じゃ、と僕はその場を後にした。
 間違ってはいない。 ちゃんと芦原さんには伝えたし。

 ( ていうか、そもそも僕に頼むのが間違いだと思うけど )

 風早ならうまくあしらってくれるだろう。
 これでしばらくあの男も僕たちには近寄るまい。
 そう思ったら気分がすっきりした。

 「あれ?那岐、なんかご機嫌?」
 「千尋。……まあね、今ちょっと厄介な問題が解決したところ」




那岐はたぶん知らない人の呼び出しには一切応じないと思います
2008/07/31 composed by Hal Harumiya


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