もう一度だけ

ああ、どうか、




ひゅうと一陣の風が目の前を通り過ぎた。
松明の明かりがゆらりと揺らめく。

「梶原様、こちらの準備整いましてございます」

膝をつき頭を垂れている男を横目に、オレは腰を上げた。

「……そうか。ご苦労」

無機質に労いの言葉をかけると男は失礼しますと言い、自分の陣に戻っていった。

( いよいよ明日、か )

明朝オレは平泉を攻める。
頭の中に浮かんだ言葉はしかし、ただ形を成すだけで実感がわかない。
もっと先のことのようなこの感覚、本当に自分に関わりのあることなのかすらおぼつかない。
幕府側の軍奉行としてあってはならないことだった。

覚悟はとうにしたつもりだった。
壇ノ浦でのあの瞬間、腹をくくり、心を決めたつもりだった。
九郎たち、そして彼女と戦わなければならなくなるということも理解していたつもりだった。
そのつもりだったというのに。

( こんなにも心が揺れるのは、なぜだ? )

オレはこんなに弱かったか?
守りたいものを守るために今まで手を血で染めてきた。
そうではなかったのか?
今回も、本当に守りたいものを守るために、オレは戦うのに。
本当に守りたいもの―――みんなを、朔を、そして、

( 望美ちゃん……君を )

そのためになら自分の何を犠牲にしても構わなかった。
鎌倉殿の捨て駒となろうとも、よかった。
それでみんなが守れるなら。
オレなんかどうなってもよかった。

決意は固かったはずだ。
たとえ裏切り者と呼ばれても構わない。
オレの真意なんか知らなくていい。
ただ君が笑って生きていけるなら―――それが全てだった。
それなのに、君と戦うということにこんなに抵抗を感じるのは、なぜだ?
オレはもう君の八葉じゃないのに。
宝玉もそう判断したのに。
オレの中の何かが君と戦うことを絶対的に拒絶している。
忠誠心?それとも庇護欲?
それとも、愛情?
わからない。そのどれでもあるようで、どれでもない気がした。
言えるのは……そう。

( 姿さえ見ることもなかったらよかったのに )

こちらに来てから一度だけ目にした君の姿を思い出す。
驚き、悲しみ、焦燥。
そのどれもがあふれ出さんばかりに君に満ちていて。
そんな君と目を合わせないようにするのが精一杯で。

( 合わせてしまったら、君とはもう戦えないと思ったから )

あんなにも泣き出しそうな顔をさせたのは、オレで。
目が合ってしまったら何をおいても駆け寄って、許してくれるまで謝り続けただろう、きっと。

でも。
もう、絶対オレたちの道は交わることがないのだろうと。
そう言い聞かせて言い聞かせて、目を見ないように下を向いたまま心に鍵をかけた。

( それでも、本当は君のそばに、本当にいたかったんだよ )

そんな本心を言ったら、君はどう思うだろう?
もう一度だけ、夢でもいい。
君のそばで、君を守ることが出来たなら。
今度こそオレは……。

「命さえ、いらない」

そのつぶやきは、虚しく空へと融けていった。
決戦は明日。
明朝オレは平泉と……彼女と、戦う。




個人的に景時の絶対は望美じゃなくて頼朝