はぁ、はぁ、はぁ……。
荒くなった息を落ち着けるため、おれは深呼吸を繰り返す。
しかし、一向に効果は見られない。
それどころかますます心拍数は上昇する一方だ。
どうして……。
( どうして、今さら…… )
気づく必要があったのだろう。
分かってた。
おれが絶対あの子のことをすきになるってことは。
もう初めから、決まっていた運命。
自分では意識していなかったけれど、頭のどこかでは確実に分かっていた。
本能、とでも言えばいいのかもしれない。
でも、気持ちを認識させられる日が来るとは思っていなかった。
この気持ちは自然なもので。
だんだんと大きくなっていったものだったから。
突然、こんなカタチで現れるとは思っていなかったのだ。
きっかけは本当に些細なこと。
「火原先輩」
「香穂ちゃん!おはよー」
いつもどおり交わされる挨拶。
そしていつもどおり始まる会話。
のはずだったのに。
「聞いてよ香穂ちゃん。おれ今日英語当たる日なのに予習してなくてさー」
いつもなら何かしらの反応が返ってくるはずなのに、そのときは違った。
「ふふふっ……」
彼女は突然笑い出したのだ。
なんで笑い出したのか、まったく理解できないおれは困惑するばかり。
( おれ、なんか面白いこと言ったっけ? )
「か、香穂ちゃん……お、おれ、なんか面白いこと言った?」
とりあえず、尋ねてみる。
しかし、彼女は笑いを止めることはない。口元に微笑を湛えたままおれを見る。
「先輩、ここ。ご飯粒くっついてますよ?」
そう言いながら彼女はおれに向かって手を伸ばす。
その瞬間だった。
そのしなやかな指が目に入った瞬間。
おれの中で何かが変わった。
くらっとした。
眩暈にも似た奇妙な感覚。
その指がおれに触れると思っただけで。
心臓が大きく跳ねた。
( っ!? )
身に覚えのない感覚に戸惑う。
しかし、動き出した思考はとまらない。
おれは制御する術を知らなかった。
胸はどくどくと激しく脈打っている。
その手に触れたらどんな気持ちなんだろう。
その手に抱きしめられたらどんな感じがするだろう。
その手に、触れられたら…。
( っあー!!!あ、朝っぱらから何考えてんだ、おれは!? )
いままでこんな感覚に襲われることはなかった。
だからなおさら、だったのかもしれない。
「っっ……」
熱くなった顔を片手で抑えながらおれはあろうことか走り出した。
まるで彼女から逃げるように。
心の中で、ゴメンと何度も謝りながら。
だってあの場にいたらおれは朝から何をしていたか分からない。
それくらい強い、衝動。
急に意識してしまった。
彼女は…女なのだということを。
そして自分は男で、彼女とは違うのだということを。
彼女のすべてを今、初めて認識した感じがした。
( ヤバイ……全然心臓鳴り止まないし…… )
どうしたらよいのだろう。
こんな感情を知ってしまった今、前みたいに、何も知らないようになんて近づけない。
彼女のすべてを知りたい。
笑いあうだけじゃ足りない。
きっと。
おれは彼女を壊してしまうだろう。
すきで、すきで、すきで……。
愛しくて、愛しすぎて。
その目も、手も、髪も、声も。
彼女を形作っているすべてが、おれを揺さぶる。
さっきの彼女のしぐさを思い出しただけで。
こんなにも顔が熱くなる。
おれの中から溢れる彼女への気持ち。
ヤバイ。
大切に、大切にしたいのに。
同時にめちゃくちゃに壊してしまいたいとも思う。
矛盾した気持ち。
でもどっちもおれの中にあって。
「女の子は守るものだ」と思っていたおれが。
一番守りたい、大切にしたいと思うキミを壊したいと思うなんて。
( ああもう!! )
こんな気持ちなんてなったことないよ。
こんな気持ちで彼女の前になんて、立てない。
おれは大きくため息をついた。
そのとき。
「火原先輩」
おれの心臓が一段と大きく跳ねた。
ぱっと後ろを振り返ると、そこには大きく息を切らした香穂ちゃんがいた。
きっと一生懸命おれの後を追いかけてくれたのだろう。
彼女を置き去りにしたまま逃げたことをいまさらながらに思い出す。
とたんに、胸を申し訳なさと罪悪感が占める。
大事にしたいのに、どうしてこんなにダメなんだろう。
「香穂ちゃん……」
ゴメン、と謝りたかったけど言葉が出なかった。
おれには謝る資格もない。
それに、今これ以上彼女に近づいたら、せっかく収まりかけていたほほの紅潮がまた元に戻ってしまう。
そんな情けない姿、見せられない。
しかし、おれのそんな考えを知ってか知らずか、彼女はおれのほうに向かって歩いてくる。
じっと、おれの目を見つめながら、それでも、不安そうに。
「火原先輩……。わたし何か悪いことしたでしょうか」
彼女の口がそう言葉を紡ぐ。
くそっ。こんな時なのに、その赤い唇に目が吸い寄せられる。
もっと名前をその声で、その唇で、呼んでほしいと思う。
ぼうっと彼女に見とれていたおれは、彼女がかなり近くまで近づいていたことに気づかなかった。
「火原先輩?」
「わぁっっ!?」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
おれは熱くなった顔を隠すために、勢いよく後ずさってしまった。
彼女の顔が一瞬苦痛でゆがんだように見えた。
そしてそれが一瞬で何かを悟った表情に変わる。
「か、香穂ちゃん」
違うんだ、と言おうとしたその声を彼女が遮る。
「いいんです。…もう、わかりましたから。いままで付きまとっててすみませんでした。迷惑でしたよね。これからは気をつけますから」
失礼しますと、彼女はそれを早口でまくし立て、そして立ち去ろうとする。
ちょっ、ちょっと待って。
このときばかりは、おれも考えることはできなかった。
とっさに彼女の腕をつかんでいた。
誤解されたまま行かせたくなかった。
なんて言うかは考えていなかったけれど、おれの本能が彼女をとめろ、と。
そう言っていた。
でも、彼女はその腕を振りほどこうとする。
行かせて、ともがく。
「香穂ちゃん」
「本当にもう気をつけますから」
「ちょっ……おれの話を聞いて」
< 「聞かなくても分かります。本当にもう近づきませんから」
それが完璧な誤解だって。
そう言いたかったけれど、言ったところで信じてもらえるわけがない。
実際に彼女を傷つけたわけなのだから。
「いいから、落ち着いておれの話を聞いてよ」
「わたしは落ち着いてます。先輩じゃないですか?取り乱してるのは」
「香穂ちゃん!おれの話を聞けって!」
「いや!聞きたくない!!」
そう言って彼女は首を必死に振る。
その目が、涙で潤んでいた。
くそっ。
でも、ここでひくわけにはいかない。
「ーっ香穂ちゃん、頼むからおれの話を聞いて?頼む!頼むよ。お願いだから、おれ、少しだけ話をする時間がほしいんだ」
何度も何度も必死で頭を下げた。
その甲斐があってか、香穂ちゃんは少し落ち着いてくれた。
「……なんですか。話って」
こんなときでも香穂ちゃんはまっすぐにおれを見る。
目をそらさずに。
こんなキミを愛しいと思えるおれは、なんて幸せなんだろう。
こうしてそばにいることができて。
そんなことを考えて、ふと気づく。
……何をどう説明すればいいんだろう。
まさか、『キミがかわいくて愛しくてしょうがなくなって、朝とか昼とかお構いなしに抱きつきそうになるから逃げた』なんて、言えるわけがない。
「あー、うー、え〜と……」
おれがうまく言葉を見つけられないでいると、香穂ちゃんはため息をついておれを見た。
「…わかりました。言えないんですよね。言いづらいですよね。もうスパッと言ってしまっていいです。わたしもそっちのほうが諦めがつきますし」
香穂ちゃんはさびしそうに笑いながらそう言った。
は?
諦めって……どういうこと?
「……か、香穂ちゃん?諦めって……何のこと?」
こんなときに間の抜けた質問だとは思うけど、どうしても尋ねずにはいられなかった。
案の定、彼女は訝しげにおれを見ている。
「何って……先輩、わたしのことキライになったんじゃないんですか?」
は?
キライになったって?
おれが……香穂ちゃんを?
「そんなこと絶対あるはずないじゃん!!」
パニックになったおれは思わず叫んでしまっていた。
あまりにもその声が大きくて、香穂ちゃんは目を大きく見開いていた。
「もっともっとすきになることはあっても、おれが香穂ちゃんをキライになるなんて、絶対ありえない」
これだけは自信を持って断言できる。
だってこんなにも愛しいのに。
キライになる日が来るなんて、想像もできない。
そう言うと、彼女の顔がうっすらと赤くなった。
「なら、……ならどうしてあの時わたしを見て逃げたんですか?」
なおも彼女は言う。
「だってあの時、キミがあんまりかわいかっ……」
しまった。
言うつもりなんてなかったのに。
さらっと口が滑ってしまった。
「あーあ〜、ゴメン!い、今のなし!取り消し!忘れてくれる?」
慌てて訂正してみてももう遅いらしい。
彼女は呆けておれを見た。
「……どういうことですか?」
その目は、明らかに真実を語ることを欲していた。
……言えるわけがない。
「え〜、だから、その……」
おれが返事に詰まってるのを見て、香穂ちゃんはどんどん近づいてくる。
( うわわっ。それ以上近づかれたら、おれ…… )
心臓が爆発する。
「っっ!」
顔に血が上る。
おれは急いで顔を背けたけど、香穂ちゃんはしっかりおれの顔が赤くなるところを見ていたらしく、
「先輩、……顔、真っ赤ですよ?大丈夫ですか?」
と、おれの顔をのぞきこんだ。
ああもう!こんなのが無意識だから、香穂ちゃんってすごいなって思う。
純粋に俺のことを心配してくれてる。
計算でもなんでもなく。
そんな彼女が可愛くてしかたなくて。
一瞬にして、抑えがきかなくなった。
次の瞬間。
「っ!?ひ、火原先輩!?」
彼女はおれの腕の中にいた。
何も考えずに、ただ彼女をきつく抱きしめる。
ただ彼女の熱を、彼女のぬくもりを感じる。
ただ抱きしめたい、という気持ち以外にはおれの中になくて。
ただキミが大事で、愛しくて。
抱きしめることで、キミを感じれるから。
キミを抱きしめているだけで今までのもやもやした気持ちが嘘のように消えていく。
ああそうか。
始めから、こうしていればよかったのかもしれない。
ただキミを抱きしめて、キミを感じて。
逃げる、なんて卑怯な方法じゃなくて。
こんなに簡単なことだったなんて。
「火、原先輩?」
香穂ちゃんが不安そうにおれの顔をのぞきこむ。
そんな彼女に愛しさがまたこみ上げてきて、おれはなんでだか笑いたくなった。
本当にキミが、すきだよ。
「ゴメンね、香穂ちゃん。キミを傷つけるつもりなんてなかったんだ。……ただ、キミが、その、すごく……可愛くて」
「な!?」
そこまで聞いて香穂ちゃんがなんとも言えないような声を出す。
顔がさっきよりも赤くなっている。
片手で顔を覆うしぐさも可愛くてしょうがない。
「すごくすごく可愛くて、それで可愛いって思ったら……なんだか、すごく抱きしめたくなっちゃって、あのままじゃおれ、公衆の面前でもお構いなしに抱きついちゃいそうで……」
おれが口にする言葉に反応してくれる。
「っだから、……だから逃げたんですか?」
「っだって、あれ以上キミのそばにいたらおれ、何するか分からなかったし、自分もあんなこと思ったことなくてどうしていいかわからなくなって……。あの時は、逃げるのが一番いいって、思ったんだよ」
話しながら、腕の中にいる彼女の様子をうかがう。
どんな反応を返してくるか分からなかった。
だから少し、怖かった。
でも彼女は。
「……よかった……」
と、本当にほっとしたようにつぶやいた。
その頭をおれの胸に預ける。
「……わたし、さっき先輩がわたしに驚いて後ずさったとき、もう先輩はわたしのことすきじゃないんだなって思っちゃったんです。他に好きな人ができたのかなって思って」
「っそんなわけっ……」
ないじゃん、と言おうとしたおれを香穂ちゃんはやんわりと制した。
「はい。今は分かってます。でも、さっきのわたしは本当に嫌われたのかと思って……。でもっ、嫌われてなくてよかったです」
香穂ちゃんはにっこり笑っておれを見上げた。
(っ!)
その笑顔にまたおれは、彼女をきつく抱きしめる。
「おれ、もう絶対香穂ちゃんを不安にさせるようなこと、しないから!約束する。もう絶対、しないよ」
おれがそう言うと、香穂ちゃんはおれの胸に顔をうずめながら、はい、と小さく返事をしてくれた。
荒くなった息を落ち着けるため、おれは深呼吸を繰り返す。
しかし、一向に効果は見られない。
それどころかますます心拍数は上昇する一方だ。
どうして……。
( どうして、今さら…… )
気づく必要があったのだろう。
分かってた。
おれが絶対あの子のことをすきになるってことは。
もう初めから、決まっていた運命。
自分では意識していなかったけれど、頭のどこかでは確実に分かっていた。
本能、とでも言えばいいのかもしれない。
でも、気持ちを認識させられる日が来るとは思っていなかった。
この気持ちは自然なもので。
だんだんと大きくなっていったものだったから。
突然、こんなカタチで現れるとは思っていなかったのだ。
きっかけは本当に些細なこと。
「火原先輩」
「香穂ちゃん!おはよー」
いつもどおり交わされる挨拶。
そしていつもどおり始まる会話。
のはずだったのに。
「聞いてよ香穂ちゃん。おれ今日英語当たる日なのに予習してなくてさー」
いつもなら何かしらの反応が返ってくるはずなのに、そのときは違った。
「ふふふっ……」
彼女は突然笑い出したのだ。
なんで笑い出したのか、まったく理解できないおれは困惑するばかり。
( おれ、なんか面白いこと言ったっけ? )
「か、香穂ちゃん……お、おれ、なんか面白いこと言った?」
とりあえず、尋ねてみる。
しかし、彼女は笑いを止めることはない。口元に微笑を湛えたままおれを見る。
「先輩、ここ。ご飯粒くっついてますよ?」
そう言いながら彼女はおれに向かって手を伸ばす。
その瞬間だった。
そのしなやかな指が目に入った瞬間。
おれの中で何かが変わった。
くらっとした。
眩暈にも似た奇妙な感覚。
その指がおれに触れると思っただけで。
心臓が大きく跳ねた。
( っ!? )
身に覚えのない感覚に戸惑う。
しかし、動き出した思考はとまらない。
おれは制御する術を知らなかった。
胸はどくどくと激しく脈打っている。
その手に触れたらどんな気持ちなんだろう。
その手に抱きしめられたらどんな感じがするだろう。
その手に、触れられたら…。
( っあー!!!あ、朝っぱらから何考えてんだ、おれは!? )
いままでこんな感覚に襲われることはなかった。
だからなおさら、だったのかもしれない。
「っっ……」
熱くなった顔を片手で抑えながらおれはあろうことか走り出した。
まるで彼女から逃げるように。
心の中で、ゴメンと何度も謝りながら。
だってあの場にいたらおれは朝から何をしていたか分からない。
それくらい強い、衝動。
急に意識してしまった。
彼女は…女なのだということを。
そして自分は男で、彼女とは違うのだということを。
彼女のすべてを今、初めて認識した感じがした。
( ヤバイ……全然心臓鳴り止まないし…… )
どうしたらよいのだろう。
こんな感情を知ってしまった今、前みたいに、何も知らないようになんて近づけない。
彼女のすべてを知りたい。
笑いあうだけじゃ足りない。
きっと。
おれは彼女を壊してしまうだろう。
すきで、すきで、すきで……。
愛しくて、愛しすぎて。
その目も、手も、髪も、声も。
彼女を形作っているすべてが、おれを揺さぶる。
さっきの彼女のしぐさを思い出しただけで。
こんなにも顔が熱くなる。
おれの中から溢れる彼女への気持ち。
ヤバイ。
大切に、大切にしたいのに。
同時にめちゃくちゃに壊してしまいたいとも思う。
矛盾した気持ち。
でもどっちもおれの中にあって。
「女の子は守るものだ」と思っていたおれが。
一番守りたい、大切にしたいと思うキミを壊したいと思うなんて。
( ああもう!! )
こんな気持ちなんてなったことないよ。
こんな気持ちで彼女の前になんて、立てない。
おれは大きくため息をついた。
そのとき。
「火原先輩」
おれの心臓が一段と大きく跳ねた。
ぱっと後ろを振り返ると、そこには大きく息を切らした香穂ちゃんがいた。
きっと一生懸命おれの後を追いかけてくれたのだろう。
彼女を置き去りにしたまま逃げたことをいまさらながらに思い出す。
とたんに、胸を申し訳なさと罪悪感が占める。
大事にしたいのに、どうしてこんなにダメなんだろう。
「香穂ちゃん……」
ゴメン、と謝りたかったけど言葉が出なかった。
おれには謝る資格もない。
それに、今これ以上彼女に近づいたら、せっかく収まりかけていたほほの紅潮がまた元に戻ってしまう。
そんな情けない姿、見せられない。
しかし、おれのそんな考えを知ってか知らずか、彼女はおれのほうに向かって歩いてくる。
じっと、おれの目を見つめながら、それでも、不安そうに。
「火原先輩……。わたし何か悪いことしたでしょうか」
彼女の口がそう言葉を紡ぐ。
くそっ。こんな時なのに、その赤い唇に目が吸い寄せられる。
もっと名前をその声で、その唇で、呼んでほしいと思う。
ぼうっと彼女に見とれていたおれは、彼女がかなり近くまで近づいていたことに気づかなかった。
「火原先輩?」
「わぁっっ!?」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
おれは熱くなった顔を隠すために、勢いよく後ずさってしまった。
彼女の顔が一瞬苦痛でゆがんだように見えた。
そしてそれが一瞬で何かを悟った表情に変わる。
「か、香穂ちゃん」
違うんだ、と言おうとしたその声を彼女が遮る。
「いいんです。…もう、わかりましたから。いままで付きまとっててすみませんでした。迷惑でしたよね。これからは気をつけますから」
失礼しますと、彼女はそれを早口でまくし立て、そして立ち去ろうとする。
ちょっ、ちょっと待って。
このときばかりは、おれも考えることはできなかった。
とっさに彼女の腕をつかんでいた。
誤解されたまま行かせたくなかった。
なんて言うかは考えていなかったけれど、おれの本能が彼女をとめろ、と。
そう言っていた。
でも、彼女はその腕を振りほどこうとする。
行かせて、ともがく。
「香穂ちゃん」
「本当にもう気をつけますから」
「ちょっ……おれの話を聞いて」
< 「聞かなくても分かります。本当にもう近づきませんから」
それが完璧な誤解だって。
そう言いたかったけれど、言ったところで信じてもらえるわけがない。
実際に彼女を傷つけたわけなのだから。
「いいから、落ち着いておれの話を聞いてよ」
「わたしは落ち着いてます。先輩じゃないですか?取り乱してるのは」
「香穂ちゃん!おれの話を聞けって!」
「いや!聞きたくない!!」
そう言って彼女は首を必死に振る。
その目が、涙で潤んでいた。
くそっ。
でも、ここでひくわけにはいかない。
「ーっ香穂ちゃん、頼むからおれの話を聞いて?頼む!頼むよ。お願いだから、おれ、少しだけ話をする時間がほしいんだ」
何度も何度も必死で頭を下げた。
その甲斐があってか、香穂ちゃんは少し落ち着いてくれた。
「……なんですか。話って」
こんなときでも香穂ちゃんはまっすぐにおれを見る。
目をそらさずに。
こんなキミを愛しいと思えるおれは、なんて幸せなんだろう。
こうしてそばにいることができて。
そんなことを考えて、ふと気づく。
……何をどう説明すればいいんだろう。
まさか、『キミがかわいくて愛しくてしょうがなくなって、朝とか昼とかお構いなしに抱きつきそうになるから逃げた』なんて、言えるわけがない。
「あー、うー、え〜と……」
おれがうまく言葉を見つけられないでいると、香穂ちゃんはため息をついておれを見た。
「…わかりました。言えないんですよね。言いづらいですよね。もうスパッと言ってしまっていいです。わたしもそっちのほうが諦めがつきますし」
香穂ちゃんはさびしそうに笑いながらそう言った。
は?
諦めって……どういうこと?
「……か、香穂ちゃん?諦めって……何のこと?」
こんなときに間の抜けた質問だとは思うけど、どうしても尋ねずにはいられなかった。
案の定、彼女は訝しげにおれを見ている。
「何って……先輩、わたしのことキライになったんじゃないんですか?」
は?
キライになったって?
おれが……香穂ちゃんを?
「そんなこと絶対あるはずないじゃん!!」
パニックになったおれは思わず叫んでしまっていた。
あまりにもその声が大きくて、香穂ちゃんは目を大きく見開いていた。
「もっともっとすきになることはあっても、おれが香穂ちゃんをキライになるなんて、絶対ありえない」
これだけは自信を持って断言できる。
だってこんなにも愛しいのに。
キライになる日が来るなんて、想像もできない。
そう言うと、彼女の顔がうっすらと赤くなった。
「なら、……ならどうしてあの時わたしを見て逃げたんですか?」
なおも彼女は言う。
「だってあの時、キミがあんまりかわいかっ……」
しまった。
言うつもりなんてなかったのに。
さらっと口が滑ってしまった。
「あーあ〜、ゴメン!い、今のなし!取り消し!忘れてくれる?」
慌てて訂正してみてももう遅いらしい。
彼女は呆けておれを見た。
「……どういうことですか?」
その目は、明らかに真実を語ることを欲していた。
……言えるわけがない。
「え〜、だから、その……」
おれが返事に詰まってるのを見て、香穂ちゃんはどんどん近づいてくる。
( うわわっ。それ以上近づかれたら、おれ…… )
心臓が爆発する。
「っっ!」
顔に血が上る。
おれは急いで顔を背けたけど、香穂ちゃんはしっかりおれの顔が赤くなるところを見ていたらしく、
「先輩、……顔、真っ赤ですよ?大丈夫ですか?」
と、おれの顔をのぞきこんだ。
ああもう!こんなのが無意識だから、香穂ちゃんってすごいなって思う。
純粋に俺のことを心配してくれてる。
計算でもなんでもなく。
そんな彼女が可愛くてしかたなくて。
一瞬にして、抑えがきかなくなった。
次の瞬間。
「っ!?ひ、火原先輩!?」
彼女はおれの腕の中にいた。
何も考えずに、ただ彼女をきつく抱きしめる。
ただ彼女の熱を、彼女のぬくもりを感じる。
ただ抱きしめたい、という気持ち以外にはおれの中になくて。
ただキミが大事で、愛しくて。
抱きしめることで、キミを感じれるから。
キミを抱きしめているだけで今までのもやもやした気持ちが嘘のように消えていく。
ああそうか。
始めから、こうしていればよかったのかもしれない。
ただキミを抱きしめて、キミを感じて。
逃げる、なんて卑怯な方法じゃなくて。
こんなに簡単なことだったなんて。
「火、原先輩?」
香穂ちゃんが不安そうにおれの顔をのぞきこむ。
そんな彼女に愛しさがまたこみ上げてきて、おれはなんでだか笑いたくなった。
本当にキミが、すきだよ。
「ゴメンね、香穂ちゃん。キミを傷つけるつもりなんてなかったんだ。……ただ、キミが、その、すごく……可愛くて」
「な!?」
そこまで聞いて香穂ちゃんがなんとも言えないような声を出す。
顔がさっきよりも赤くなっている。
片手で顔を覆うしぐさも可愛くてしょうがない。
「すごくすごく可愛くて、それで可愛いって思ったら……なんだか、すごく抱きしめたくなっちゃって、あのままじゃおれ、公衆の面前でもお構いなしに抱きついちゃいそうで……」
おれが口にする言葉に反応してくれる。
「っだから、……だから逃げたんですか?」
「っだって、あれ以上キミのそばにいたらおれ、何するか分からなかったし、自分もあんなこと思ったことなくてどうしていいかわからなくなって……。あの時は、逃げるのが一番いいって、思ったんだよ」
話しながら、腕の中にいる彼女の様子をうかがう。
どんな反応を返してくるか分からなかった。
だから少し、怖かった。
でも彼女は。
「……よかった……」
と、本当にほっとしたようにつぶやいた。
その頭をおれの胸に預ける。
「……わたし、さっき先輩がわたしに驚いて後ずさったとき、もう先輩はわたしのことすきじゃないんだなって思っちゃったんです。他に好きな人ができたのかなって思って」
「っそんなわけっ……」
ないじゃん、と言おうとしたおれを香穂ちゃんはやんわりと制した。
「はい。今は分かってます。でも、さっきのわたしは本当に嫌われたのかと思って……。でもっ、嫌われてなくてよかったです」
香穂ちゃんはにっこり笑っておれを見上げた。
(っ!)
その笑顔にまたおれは、彼女をきつく抱きしめる。
「おれ、もう絶対香穂ちゃんを不安にさせるようなこと、しないから!約束する。もう絶対、しないよ」
おれがそう言うと、香穂ちゃんはおれの胸に顔をうずめながら、はい、と小さく返事をしてくれた。
お目汚しですが、私の中の火原くんはこんな初々しい感じなのです
2004/5/9 composed by Hal Harumiya
revise:2005/7/14
2004/5/9 composed by Hal Harumiya
revise:2005/7/14