その日、私は兄上から頼まれた用事でちょうど家を留守にしていた。
用事を済ませた私はいつもどおりお土産をあの二人に買って帰途についていた。
今、望美と敦盛殿は京邸に一緒に住んでいる。
二人とも迷惑になるから、と出て行こうとしたのだがそこを何とか説得したのだった。
気遣いな二人は申し訳なさそうに、でも安堵したように微笑んでいた。
「朔、…本当にゴメンね」
「いいのよ。兄上は鎌倉のほうに召集されることもあるし、私一人じゃ広すぎるもの」
それにいてくれたほうが私は嬉しいわ、と言うと、望美の顔にも柔らかな微笑みが戻った。
「朔殿、すまない…」
敦盛殿は本当につらそうにそう言った。
責任感の強い彼のことだから、他家に厄介になるのは本当に申し訳ないと思っているのだろう。
それを自分のせいにさえ思っているかもしれない。
「いいえ、よろしいのです。私がお二人にいてほしいのですから。どうか私のわがままを聞いてはもらえないでしょうか?」
それを聞いてもなお、彼はその顔を崩さなかったが、納得してくれたようだった。
と、そんな当時のことを思い出して顔が自然と緩む。
あれからもう半年が経とうとしている。
季節は巡り、年を重ねる。
春だったあの時も遷り変わり、今ではめっきり夜も冷えるようになった。
やっと安定してきた彼らの生活。
幸せそうに語り合う二人を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
あの、…覇気のない望美の姿を目の当たりにしてるから、なおさら。
今の状態はよいものだと思える。
たとえ敦盛殿が誤った存在であろうとも。
そこまで考えてハッとする。
( いけない…私ったら…… )
帰る足を止めてまで考えることではない。
私は二人が幸せであればそれだけでよいのだから。
それが私にとっては正しいこととなっているのだから。
自分にそう言い聞かせるように私は心の中で唱え、帰る足を速めた。
家に着くと、そこはいつもどおりとても静かだった。
時折望美と敦盛殿の笑い声が聞こえてきて。
そこに私が微笑みながら入っていく。
それが日常。
その日もそれが繰り返されるのだと思っていた。
だが、いつもの部屋に彼らはいなかった。
( あら…どこにいったのかしら? )
「望美?敦盛殿……?」
不思議に思った私は軽く呼びかけてみる。だが、返事がない。
( 庭にでもいるのかしら? )
そう考えたわたしは2人を探すためため縁側に向かった。
突き当たりの廊下を曲がって、縁側に出ようとした時だった。
「……望美?」
こちらに背を向けて縁側に座り込んでいる彼女の姿があった。
「望美?」
もう一度呼びかける。今度は少し語気を強めて。
それでも彼女は振り向かない。
不思議に思った私は彼女に近づいて肩に触れた。
「望美……、っどうしたのっ!?」
思わず大きな声を上げてしまった。
印象的なその翡翠色の目は生気をなくし、何も見ていないかのようだった。
豊かな表情は影を潜め、まるで人形のように一ヶ所を見つめている。
のぞきこんだ顔はあの時と同じ顔、敦盛殿が竜巻に飲まれていなくなってしまったときと同じ表情。
( そういえば…敦盛殿は……? )
おかしい、いつも私が帰ってくるときは必ず一緒にいるのに。
一緒にいない日なんてない、というくらい二人は仲睦まじかったのである。
「望美…敦盛殿はどこに行ったの?」
望美の体がビクッと跳ねた。『敦盛殿』の名前に反応したようだ。
望美の視線が初めて上がった。まるで誰かを探すようにそれは彷徨う。
そうして、彼女は私をやっと視界に捕らえた。
ぞくっと私の体をイヤな感覚がかけていった。
彼女は私と目を合わせているのに私を見てはいなかった。
「…つ…りさ……ないの」
私と目を合わせたまま望美はつぶやいた。
その声は少しかすれていて良く聞き取れない。
「もう一回言ってちょうだい。敦盛殿はどうしたの?」
再び沈黙が流れる。
そうして、望美が口を開いた。
「あつもり…さ…いないの」
「え?」
「敦盛さんいなくなっちゃったの」
「なんっ……どうしてっ」
あの敦盛殿が望美を置いてどこかに行くなんて考えられない。
あんなにお互いがお互いのことを想っている恋人同士を私は見たことがなかった。
それなのに、どうして。
「光に包まれて…さよならって言って。五行の……内に還っていったの」
私は言葉を失った。
なんでいまさら。
あんなに幸せそうに暮らしていた2人を、やはり彼の"怨霊"という立場が壊すのか。
心の中で最も危惧していたことが現実になってしまった。
そして、そんな大事なときにこの子を支えてやれなかった自分を悔やんだ。
淡々と語る望美はもう何も見てはいなかった。
「…きが……」
「え?」
「時が来たんだって……」
「時……?」
「限界だったみたい……敦盛さんがこの世界で実体を保つのは」
苦笑いをしながら望美は言う。
私は黙って話を聞いているだけだった。
「敦盛さんね……?消える直前に初めて『愛してる』って言ってくれたの」
優しい口調で語る望美。その視線は敦盛殿を見るような優しさがあって。
それが逆に痛々しかった。
「ひどいよね?消える直前になってそんなこと言うなんて……ホント…ひどっ……」
明るく話していた望美の声が急に震えだし、次の瞬間には望美の顔が涙で濡れていた。
「…なんっで…連れていってくれなかったのかなっ……?」
「望美…それは…」
「あんなこと言われたら、離れたくなくなるに決まってるのに……」
忘れろと言われても、無理だと、涙を拭うこともせず、望美は訴える。
私は黙ってその話を聞いていた。
そうしてこの娘の気が晴れるならいくらでもそうしてあげようと思った。
それくらい今の望美は憔悴していた。
間違ったら敦盛殿の後を追ってしまいそうで。
「どうしてっ…あ…どう…敦盛さんっ……」
悲痛な望美の叫び。
「わああああ……っ」
繋いでいた糸が切れたみたいにこの子は叫んだ。
「っなんでいないの!?…やっと静かに暮らせると思ったのに!!一緒に…ずっと……」
「望美……」
「…連れていってよ…。ねぇ、敦盛さん…わたしも…。いなくちゃダメなのに、こんなに苦しいのに…置いてかないでよぉ……っ」
この時ほど敦盛殿を恨めしく思ったことはなかったわ。
ひっぱたいてやりたいとまで思った。
いつか消えるとわかってるなら、どうして望美をすきになったの?
悲しませるとわかっていたくせに、どうして?
理不尽だと思う。でも止められなかった。
苦しんでいる望美を見ていると私も胸が張り裂けそうになる。
私たちは繋がってるから。
敦盛殿は無責任過ぎる。
『愛してる』なんて言葉で縛り付けて、忘れていいなんて言って。
なんて自己中心的な人なのか、と。
そんなことを望美に言うと、この子は必ず敦盛殿をかばうから絶対言わないけれど。
泣き崩れる望美を抱きしめながら私は一つの考えを思い付いた。
望美がこれ以上この世界にいたらきっとダメになってしまう。
この世界にいたら、望美は敦盛殿の影をずっと追いかけるだろう。
寺に入って尼僧になってしまうかもしれない。
私のように。
でも、それが望美の幸せだとは思わない。
この子は人に愛されるべき娘。
1人を想って静かに暮らすべきではない。
愛し愛されて暮らしていってほしい。
たとえそれが私の自己満足でも。
この子と二度と会えないとしても。
私は決断を下した。
「望美……」
泣きじゃくる望美を支えながら、ゆっくりとした口調で話し掛けた。
「望美…あなた、元の世界に帰りなさい」
用事を済ませた私はいつもどおりお土産をあの二人に買って帰途についていた。
今、望美と敦盛殿は京邸に一緒に住んでいる。
二人とも迷惑になるから、と出て行こうとしたのだがそこを何とか説得したのだった。
気遣いな二人は申し訳なさそうに、でも安堵したように微笑んでいた。
「朔、…本当にゴメンね」
「いいのよ。兄上は鎌倉のほうに召集されることもあるし、私一人じゃ広すぎるもの」
それにいてくれたほうが私は嬉しいわ、と言うと、望美の顔にも柔らかな微笑みが戻った。
「朔殿、すまない…」
敦盛殿は本当につらそうにそう言った。
責任感の強い彼のことだから、他家に厄介になるのは本当に申し訳ないと思っているのだろう。
それを自分のせいにさえ思っているかもしれない。
「いいえ、よろしいのです。私がお二人にいてほしいのですから。どうか私のわがままを聞いてはもらえないでしょうか?」
それを聞いてもなお、彼はその顔を崩さなかったが、納得してくれたようだった。
と、そんな当時のことを思い出して顔が自然と緩む。
あれからもう半年が経とうとしている。
季節は巡り、年を重ねる。
春だったあの時も遷り変わり、今ではめっきり夜も冷えるようになった。
やっと安定してきた彼らの生活。
幸せそうに語り合う二人を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
あの、…覇気のない望美の姿を目の当たりにしてるから、なおさら。
今の状態はよいものだと思える。
たとえ敦盛殿が誤った存在であろうとも。
そこまで考えてハッとする。
( いけない…私ったら…… )
帰る足を止めてまで考えることではない。
私は二人が幸せであればそれだけでよいのだから。
それが私にとっては正しいこととなっているのだから。
自分にそう言い聞かせるように私は心の中で唱え、帰る足を速めた。
家に着くと、そこはいつもどおりとても静かだった。
時折望美と敦盛殿の笑い声が聞こえてきて。
そこに私が微笑みながら入っていく。
それが日常。
その日もそれが繰り返されるのだと思っていた。
だが、いつもの部屋に彼らはいなかった。
( あら…どこにいったのかしら? )
「望美?敦盛殿……?」
不思議に思った私は軽く呼びかけてみる。だが、返事がない。
( 庭にでもいるのかしら? )
そう考えたわたしは2人を探すためため縁側に向かった。
突き当たりの廊下を曲がって、縁側に出ようとした時だった。
「……望美?」
こちらに背を向けて縁側に座り込んでいる彼女の姿があった。
「望美?」
もう一度呼びかける。今度は少し語気を強めて。
それでも彼女は振り向かない。
不思議に思った私は彼女に近づいて肩に触れた。
「望美……、っどうしたのっ!?」
思わず大きな声を上げてしまった。
印象的なその翡翠色の目は生気をなくし、何も見ていないかのようだった。
豊かな表情は影を潜め、まるで人形のように一ヶ所を見つめている。
のぞきこんだ顔はあの時と同じ顔、敦盛殿が竜巻に飲まれていなくなってしまったときと同じ表情。
( そういえば…敦盛殿は……? )
おかしい、いつも私が帰ってくるときは必ず一緒にいるのに。
一緒にいない日なんてない、というくらい二人は仲睦まじかったのである。
「望美…敦盛殿はどこに行ったの?」
望美の体がビクッと跳ねた。『敦盛殿』の名前に反応したようだ。
望美の視線が初めて上がった。まるで誰かを探すようにそれは彷徨う。
そうして、彼女は私をやっと視界に捕らえた。
ぞくっと私の体をイヤな感覚がかけていった。
彼女は私と目を合わせているのに私を見てはいなかった。
「…つ…りさ……ないの」
私と目を合わせたまま望美はつぶやいた。
その声は少しかすれていて良く聞き取れない。
「もう一回言ってちょうだい。敦盛殿はどうしたの?」
再び沈黙が流れる。
そうして、望美が口を開いた。
「あつもり…さ…いないの」
「え?」
「敦盛さんいなくなっちゃったの」
「なんっ……どうしてっ」
あの敦盛殿が望美を置いてどこかに行くなんて考えられない。
あんなにお互いがお互いのことを想っている恋人同士を私は見たことがなかった。
それなのに、どうして。
「光に包まれて…さよならって言って。五行の……内に還っていったの」
私は言葉を失った。
なんでいまさら。
あんなに幸せそうに暮らしていた2人を、やはり彼の"怨霊"という立場が壊すのか。
心の中で最も危惧していたことが現実になってしまった。
そして、そんな大事なときにこの子を支えてやれなかった自分を悔やんだ。
淡々と語る望美はもう何も見てはいなかった。
「…きが……」
「え?」
「時が来たんだって……」
「時……?」
「限界だったみたい……敦盛さんがこの世界で実体を保つのは」
苦笑いをしながら望美は言う。
私は黙って話を聞いているだけだった。
「敦盛さんね……?消える直前に初めて『愛してる』って言ってくれたの」
優しい口調で語る望美。その視線は敦盛殿を見るような優しさがあって。
それが逆に痛々しかった。
「ひどいよね?消える直前になってそんなこと言うなんて……ホント…ひどっ……」
明るく話していた望美の声が急に震えだし、次の瞬間には望美の顔が涙で濡れていた。
「…なんっで…連れていってくれなかったのかなっ……?」
「望美…それは…」
「あんなこと言われたら、離れたくなくなるに決まってるのに……」
忘れろと言われても、無理だと、涙を拭うこともせず、望美は訴える。
私は黙ってその話を聞いていた。
そうしてこの娘の気が晴れるならいくらでもそうしてあげようと思った。
それくらい今の望美は憔悴していた。
間違ったら敦盛殿の後を追ってしまいそうで。
「どうしてっ…あ…どう…敦盛さんっ……」
悲痛な望美の叫び。
「わああああ……っ」
繋いでいた糸が切れたみたいにこの子は叫んだ。
「っなんでいないの!?…やっと静かに暮らせると思ったのに!!一緒に…ずっと……」
「望美……」
「…連れていってよ…。ねぇ、敦盛さん…わたしも…。いなくちゃダメなのに、こんなに苦しいのに…置いてかないでよぉ……っ」
この時ほど敦盛殿を恨めしく思ったことはなかったわ。
ひっぱたいてやりたいとまで思った。
いつか消えるとわかってるなら、どうして望美をすきになったの?
悲しませるとわかっていたくせに、どうして?
理不尽だと思う。でも止められなかった。
苦しんでいる望美を見ていると私も胸が張り裂けそうになる。
私たちは繋がってるから。
敦盛殿は無責任過ぎる。
『愛してる』なんて言葉で縛り付けて、忘れていいなんて言って。
なんて自己中心的な人なのか、と。
そんなことを望美に言うと、この子は必ず敦盛殿をかばうから絶対言わないけれど。
泣き崩れる望美を抱きしめながら私は一つの考えを思い付いた。
望美がこれ以上この世界にいたらきっとダメになってしまう。
この世界にいたら、望美は敦盛殿の影をずっと追いかけるだろう。
寺に入って尼僧になってしまうかもしれない。
私のように。
でも、それが望美の幸せだとは思わない。
この子は人に愛されるべき娘。
1人を想って静かに暮らすべきではない。
愛し愛されて暮らしていってほしい。
たとえそれが私の自己満足でも。
この子と二度と会えないとしても。
私は決断を下した。
「望美……」
泣きじゃくる望美を支えながら、ゆっくりとした口調で話し掛けた。
「望美…あなた、元の世界に帰りなさい」
この話を第3者の視点から書きたかった 満足満足
2005/05/13 composed by Hal Harumiya
2005/05/13 composed by Hal Harumiya