僕たちは二度、恋をする 4

ぴたっと望美の動きが止まった。
そのまましばらく沈黙の時が過ぎる。
ゆっくりと望美が顔を上げた。

「……え?」

訝しげに眉根を寄せて。

「……もう一度言うわ。望美、あなたは元の世界に帰りなさい」
「…あはっ、……なん、で?」

望美はわたしが冗談でも言っているかのようにかすかな笑いをこぼした。
だが、あいにくとこっちは真剣だ。

「このままこの世界にいてもあなたにいいことなんて何もないわ。あなたは元の世界に戻るべきなの」

努めて事務的な口調で告げる。
そうしないと、望美は説得できないと思った。

「いやだよ……なんで?残るって言ったじゃない!朔だって喜んでくれてたのに……どうして!?」

望美の顔が歪んだ。

「あなたが残ったのは敦盛殿がいたからでしょう?」

今の望美には少々残酷な言葉かもしれない。でもあえて、私は言葉を紡いだ。

「……私は見たくないのよ。あなたがこれからの人生を涙と共に暮らすところなんて」
「っそんなことない!!ほら、わたしまだ若いし。元気に暮らせるよっ?ねっ!?」

痛々しいくらいの笑みを浮かべて必死に私を説得しようとする。

「ねぇ望美、あなた敦盛殿のこと忘れられるかしら?」
「……っ」

望美の顔色が変わる。

「敦盛殿を思い出にできる?敦盛殿を忘れられる?今のあなたに他の男性を愛せる?」

一生無理だ。それは関係のない私の目から見ても明らかなこと。
きっと望美にとって敦盛殿は運命の人とでも呼ぶべき人だったのだろう。
私にとってのあの人……黒龍のように。
それは、魂の伴侶。
たとえこれからこの世界で数多の男に出会ったとしても、望美はおそらくその人に敦盛殿を重ねてみてしまうだろう。

「そんなこと……できないよ」

望美が呟く。

「忘れるなんて、できない。敦盛さんを忘れるなんて無理だよ、だってすきなのに!こんなに、すきなのに」
「…やっぱり望美……」
「イヤなの」

私の話を遮った望美は切なそうにきつく目を閉じていた。

「イヤなの。だって元の世界に帰ったら敦盛さんがいたこと、何も感じられないもの」

両手を祈るように胸の前で組む。

「ここにはいっぱい思い出がある。敦盛さんが確かにいたことが分かる」

邸にも、庭にも。縁側だってあの人を思い出す糧になる。
どこもかしこも敦盛さんの思い出でいっぱいで。

「お願い、朔。帰れなんて言わないで!わたしここにいたいの!敦盛さんの思い出が残ってる場所にいたいの!」

切実な思い。
辛そうに語る望美を見ていると自分が間違ってるんじゃないかって思う。

「…望美……」
「ねぇ朔、わたしまだ残っていていいでしょ!?お願い……いさせてっ」

悲痛な声が混じる。
望美の願いを叶えてあげたい。
でも!!

「ダメよ」

静かに告げる。今までの望美の言葉をあえて否定するような冷たい口調で。
心を鬼にして言う。

「どうして、敦盛さんの側にいたいだけだよっ!お願いっ……朔っ」
「ダメ!…お願いよ…わかって…」

鼻の奥がツンと痛くなる。私だってつらい。
ここに居たいというこの子の気持ちは分かる。
痛いくらい分かる。
わかり過ぎるくらい分かっている。
だからなおさら。
< BR> 「いい?望美、……私はあなたに、私みたいにはなってほしくないのよ」

強く肩をつかんで目を合わせる。
望美の瞳が大きく見開かれた。

「朔……?」
「言ったことあったかしら?昔、私もあなたと同じような恋に落ちたわ。私にとってあの人は運命の人だった。あの人と一緒に過ごした日々はすばらしく幸せだった」

でも、と一旦言葉を切る。

「それは長く続かなかった。あの人はある日突然…消えたの。夫婦の契りを交わす前の日だった」

あの時のことを思い出すと今でもつらい。
考えるだけで胸が締め付けられるようだった。
でも今はこの子のために語らなくては。

「私は…何を信じていいかわからなくなったわ。……ちょうど今のあなたみたいだった。どうして、どうしてってね」

そして紡ぐ。

「私はあなたにそうなってほしくはないの。愛した男性と一緒になって幸せになってほしいの。……そのために、あなたはこの世界にいてはいけないのよ!」

語尾が自然ときつくなる。お願いわかって。私はあなたが不幸なまま暮らしてほしくないのよ。
祈るような気持ちで私は望美を見た。
しかし彼女の顔には是は浮かんでいない。

「……朔の言いたいことはわかった。でもわたしはここから離れない。わたしは絶対敦盛さんの側にいるから。絶対にどこにも行かない!!」

語気も荒く彼女は言った。瞳の輝きが戻ってきていた。
皮肉なものだ、と思った。
このまま言い争っていても決着はつかない。
望美の気持ちはわかり過ぎるくらい分かるから。
本当は気を緩めれば張り裂けそうな悲しみが溢れそうなのが分かるから。

( でも、私もこればかりは譲る気はないわ )

敦盛殿を偲んで生きていくにはこの子は若すぎる。
けれど再び想い人をつくるにはこの世界に敦盛殿の存在が残り過ぎている。
どちらかを選ばなければならないならば。
私はこの子に未来を選ばせたい。
それが私のエゴであろうとも。
そのためにも。
私は……龍神を呼び出す。
望美が自分の意志では帰らないというのなら、無理にでも私は帰すわ。
望美でも抗えない、龍神の力を使ってでも。

「まったき龍神、応龍よ。私は龍神の神子が一人、黒龍の神子、梶原朔。我の声を聞き、姿を現せ!」
「朔っっ!!」

そう紡いでから強く祈る。
望美が制止の声を出したけれど、聞こえないフリをした。
心はもう決まっているのだ。
しばらくして不意に、邸の全ての空気が変わる。
それは神気。それも強烈な。
辺りが神聖な場に変わっていくのか分かる。神から言の葉を戴く神域に。

「望美……あなたの願いを聞いてあげられなくてごめんなさい」

望美のほうを見ずに、前だけ見つめて言う。
私の意志を、彼女に知らしめるために。

「どうして……」
「あなたが好きだからよ。でも、憎んでくれていいわ。たとえ憎まれても、私は応龍を呼ぶわ!」

そして叫ぶ。

「お願い、応龍!!!わたしの声を、私の願いを!!」
「やめてぇっ!!!」

一瞬の間。そして。
応龍が来る、と直感で分かった。
私の呼びかけに応えてくれたのだ、と思うと急に胸に熱いものがこみ上げてきた。
しかし、現れた彼らは姿までは見せてくれなかった。
光の中から私たちの心に直接語りかけてくる。

でも、それでも充分だと思った。
私はまだ、『黒龍の神子』なのだと思うと。

―黒龍の神子、なぜ我らを呼び出したのだ?―

応龍が言葉を発する。それだけで周りの空気が清められていくのが分かる。
私はこれから、この神に最後の願いを告げるのだ。

「応龍、私の願いを聞いてほしいのです。おそらくこれが最後の」
「朔っ!!!」

望美が叫ぶ。本当にごめんなさい、望美。

「望美を……この子を元の世界に返してください」

―…自分が何を言っているのかわかっておるのか、黒龍の神子。汝は白龍の神子を元の時空へ帰せ、と、そう言っておるのだぞ?―

「ええ、龍神。私はちゃんと分かっています。それで、頼むのです。どうかこの子を……」
「待って、龍神!!わたし、帰りたいなんて一言も言ってない!!お願い、ここにいさせて!」

―……こう言っておるが?―

龍神が静かに私に問いかける。

「龍神、あなたも彼女と共に刃を交えたならお分かりでしょう?彼女が……この世界にいるべきではないのが」

絶対分かっているはず。自分の分身とも呼べる神子の片割れのことならなおさら。
そして、私のこの気持ちも。

「彼女の今の状況、そしてその未来のことを考えてもまだそう言うのですか?分かっているはずです、龍神」

静かに反論する。
龍神を相手に私もよくやるわ。揺さぶりをかけているのだもの。
全身に震えが走る。
畏れからではない。
むしろこれは昂揚感。
あの龍神を前に駆け引きを持ち出しているのだから。
少しの間沈黙が続き、龍神がその重そうな口を開いた。ため息が聞こえたのは私の気のせいかしら。

―…黒龍の神子、汝の望みはなんだ?―

「私の望みはこの子をこの子のいた世界に戻すことです」

はっきりと告げる。望美にも、龍神にも伝わるようにと。

「朔っっ…龍神……」

望美がその場に力無く崩れ落ちた。

「なんっ…で……イヤだよ…帰りたくなんかないのに……」

その目が悲しそうに伏せられて小さく呟いた。
ズキンと胸が軋んだ。
私はひどいことを言っている。
それでも。
先へ進むしかないのだ。
たとえ彼女に憎まれることになろうとも。
そして私は駄目押しの一言を口にする。

「龍神、これが私の黒龍の神子としての最後の願いです」

お願いします、と私は心から願った。




今度こそ後1話で終わります……っ
2005/07/06 composed by Hal Harumiya